ラモー - 自文化中心主義の誘惑?


シルヴィ・ブイスー、『ジャン=フィリップ・ラモー、啓蒙の音楽家』、ファイヤール、2014年、1024頁
Sylvie Bouissou, Jean-Philippe Rameau, musicien des Lumières, Fayard, 2014, 1024 pages

桑瀬章二郎(立教大学)

バロック音楽、とりわけラモー音楽に無知な私は、いくらでもその機会はあったというのに、ラモーのオペラやバレエを生で観たのはたった4、5回にすぎない。持っていた数十枚はあろうかというCDのなかには、聴き流しただけで何の記憶も残っていない曲がかなり含まれている。いや、聴いていない曲さえある。ほぼ同時代を生きたバッハはわがiTunesで頻繁に再生されるが、ラモーは今のところ一度も再生されていない。正直にいうなら、私はフランスでラミストと呼ばれるラモー信奉者・愛好家から限りなく遠いところにいる。

1woman-2136870_960_720.jpg

ジャン=フィリップ・ラモーは18世紀フランスを代表する音楽家である。本書副題が示すごとく、「啓蒙の音楽家」と形容されることもあることからわかるように、ラモーはこの時代のフランス文化社会に少なくともある一定の期間、完全に「君臨」した。だから、18世紀フランスについて関心を持つ者なら必ずやどこかで彼に「出会う」ことになる。彼は音楽学や音楽史の枠を超え出た特別な存在なのだ。

18世紀的「宮廷社会」、あるいは宮廷式「ブルジョワ社会」で果たした役割は、彼を文化史的、社会学的関心の特権的対象としている。また彼は、ヴォルテール、カユザック、マルモンテル、ペルグラン、ピロンといった文学史上極めて重要な作家との「共同作業」を実現した。さらに彼は作曲家であると同時に徹底した理論家でもあり、その理論的探究がゆえにディドロ、とりわけダランベールとの共闘、そして訣別を経験することになった。ルソーとの名高い論争を含め、彼の理論的考察は文字通り「哲学的」探究であったわけだ。

この複雑な知識人の全体像を歴史的文化的背景のもとに描き出そうというのが本書の目的である。そう、著者シルヴィ・ブイスーはあくまで全体像にこだわる。総合的視座が重視されるのだから、独創的な分析や斬新な解釈をあまり期待してはならない。ひとつの作品について特権的な場所が与えられるようなことはなく、すべての作品がバランスよく「紹介」されていく。

当然のごとく選び取られている年代順の叙述も、さらには、なんとも平易な文体も、この目的に見事に合致しているといえよう。

2paris-933961_960_720.jpg

第一部では、いくつかの都市でオルガン奏者として生きたパリ定住以前の時期(といっても彼がパリに出るのは40歳になってからだが)が論じられる。残された資料は限られている。そこでブイスーは探偵のごとく古文書を徹底的に調べあげる。こうした調査の常で、成果は乏しい。とりわけ電子化が急速に進んだ今日においては。だが、読んでいて実にスリリングだ。実証研究はこうでなくてはならない。数少ない、ほとんど偶然残ったといえる草稿や文書については画像まで取り込み、ていねいに読解してみせる。

第二部では、パリに出たラモーの活動が辿られる。クラヴサン組曲の作曲や理論的考察の継続とともに、おそらくはピロン経由でフォワール(市の芝居、縁日芝居)文化の影響を受けた点が強調される。ラモー研究者にとっては常識的な見解なのかもしれないし、その痕跡をのちの代表作にも見出すことができるという説は少し強引なのかもしれないが、やはり興味深い箇所だ。そして何人かのメセナのあいだを「移動」し、啓蒙の象徴的メセナ、ラ・ププリニエールのもとに辿りつく過程が描かれる。

第三部では、いよいよ『イポリットとアリシ』、『優雅なインドの国々』『カストールとポリュックス』といった今日代表作とみなされている作品の制作過程が明らかにされ、各作品が音楽学的観点のみならず総合芸術的観点から分析される。そのさい著者は、必ずや各作品でのラモーの新たな音楽的「挑戦」、つまり同時代の美学的規範からの逸脱を強調している(たとえば上の三つの作品はすべて異なる「ジャンル」に属するものである)。

なんともわかりやすい叙述だ。だが、このあたりから、私のような門外漢にとっても、ラモー音楽の革新性を強調するあまり、著者の解釈が次第に強引になっていくように感じられてしまう。実際、音楽学者や美学史家にとっては大いに問題のある箇所らしく、カトリーヌ・カンツレール(キンツラー)は『ディドロ・百科全書研究』誌に寄せた書評でこの点を痛烈に批判している。

第四部ではラモーが、1745年、ついに王室付き作曲家の地位に昇りつめた年以降の時期が扱われる。個人的にはいちばん関心をもって読んだ箇所だ。ヴォルテールとの「共同作業」がようやく実現する時期であり、宮廷での祝祭用「受注作品」(これまた特殊な「ジャンル」に属するものだ)が書かれていく時期でもある。

面白いのはヴォルテール財団版『ヴォルテール全集』に含まれる詳細な批評校訂版では、ヴォルテールの「貢献」が強調されていた作品、たとえば『ナヴァールの王女』について、ブイスーはむしろそれを低く見積もり、ラモーの「貢献」に力点を置いている点だ。そう、本書は、まちがいなく、ラモー礼賛の書なのだ。そして、それはなんら欠点ではない。現代でも頻繁に上演される『プラテ』によってラモーは「文化的交雑」(607頁)を実現したといわれるとさすがに吹き出してしまうが、たしかに『プラテ』にはそうした側面もあろう。

もちろん、他にも読み応えがある箇所はいくらでもある。実際に楽譜を提示しつつ、ラモーの自曲からの引用・借用箇所を緻密に分析したり、(いわゆる転用を含む)クラヴサン曲がオペラと取り結ぶ関係を明らかにしたり、各作品の上演形態を正確に再構築したうえで、複数のバージョンの差異と「生成」について仮説を提示したりと、さまざまな情報がつめ込まれている。先行研究もていねいに取り込まれ、『カストールとポリュックス』を「自伝的オペラ」(409頁)とする解釈が再検討されたり、フリーメーソンの影響をどの程度までラモー作品に読み取るべきか自説が展開されたりする。

3flower-173619_960_720.jpg

問題は明らかに第五部だろう。著者の労苦と困惑が伝わってくるようだ。作曲家ラモーと理論家ラモーは不可分だとブイスーは認識しているのに、理論的考察については、年代順の叙述を離れ、個別に論じざるをえないのだ。教育法について手際よくまとめたのち、いよいよラモーの音楽理論が、さまざまな論争を経て「発展」していく過程が辿られるわけだが、この点は多くの専門家たちによって激しく批判されてしまった…。たしかに、当時の音楽論争が持ちえた「哲学」や「エピステーメー」とのかかわりはほとんど論じられず、その「政治性」についてもいっさいふれられない。ダランベールとの象徴的な共闘と訣別も一挿話に単純化され、ルソーとの論争についても同様。ヴォルテールとの「共同作業」にふれたさいにも述べたが、あくまでラモー礼賛の書として本書は閉じられるのだ。

しかし、「すべて」を一冊に書き込むことなど不可能ではないか。門外漢ならではの印象かもしれないが、本書はラモーの全体像を見事に描き出していると思われる。千頁を超える大著にはふさわしくない表現だろうが、本書は極めて優れたラモーの「入門書」なのだ。

「入門書」に不可欠な参考資料も充実しており、特にタイトル、ジャンル(これは微妙な問題だ)、台本作者名を含む年譜が付されているのがなんともありがたい。

唯一「残念」な点があるとすれば、「ラモー研究書(入門書?)」であるにせよ、慎重になるあまり、音楽史的視点、とりわけ「18世紀西欧音楽」という視点が完全に欠落している(回避されている?)点であろう。著者は冒頭からラモーが「イタリア音楽の知識を深める」(47頁)必要性を痛感していたと述べ、イタリア旅行の時期までも特定しようとするのだが、同時代のイタリア・オペラについてはほとんどふれられないではないか!

ラモーを完全にフランス18世紀社会の「内部」に位置付けてしまうと、どうしてもフランス文化中心主義の匂いが感じられてしまう。かといって、単純なコスモポリタニズム的視点を導入すれば、ラモーの格闘を忠実に再現できないだろう。ラモーは、18世紀フランスの特異な舞台芸術空間という背景のもとに格闘したのだから。したがって、「ブフォン論争」のさいの最も非生産的な言説のような批判を本書に向けるべきではないのだろう…。

とにかくすべての18世紀研究者におススメの一冊だ。


*どうでもよいことだが、すべての書誌情報で本書はなぜか1024頁となっている…。私の手もとにあるものは1066頁まであり、はっきりと1065まで頁番号が打たれているのだが。
*ダランベール『ラモー氏の原理に基づく音楽理論と実践の基礎』には邦訳があり、ありがたいことに、決定的な1762年版序文も「付録」として読むことができる。


2017/10/14

このページのURL:

管理:立教大学文学部 桑瀬章二郎
本ホームページの記事、写真、イラストなどの著作権は立教大学文学部桑瀬章二郎または、その情報提供者に帰属します。無断転載、再配信等は一切お断りします。