マルグリット・デュラス―映画制作からエクリチュールへ
ミレイユ・カル=グリュベール著『マルグリット・デュラス―平凡さの崇高性』
ドゥ・ランシダンス、リヨン、2014年、151ページ
Mireille Calle-Gruber, Marguerite Duras : La Noblesse de la banalité, De l’incidence,
Lyon, 2014
関 未玲(愛知大学経営学部准教授)
1. デュラス研究の変遷
2014年の生誕100周年を記念して、マルグリット・デュラス作品全集全4巻がプレイヤード叢書から刊行されたのは記憶に新しい[1]。これを機にデュラス研究はフランス国内外でかつてない活況を呈し、多くの研究論文や研究書が次々と発表されている。これまで精神分析学、心理学、言語学、ナラトロジー、セミオロジー、テーマ研究、ジェンダー研究、共同体論、ポストコロニアリズム、他者論など、多様なるフレンチセオリーの発展とともにデュラス研究のアプローチも変遷を遂げてきた。ラカン、ブランショ、ドゥルーズ、デリダなどフランス哲学・思想の錚々たる面々がデュラス作品について言及する一方で、アラン・ヴィルコンドレ、ロール・アドレール、ドミニク・ノゲーズ、ジャン・ヴァリエなどの文芸批評家が伝記的側面を補完し、アカデミズムの世界からはマドレーヌ・ボルゴマノ、クリスティアーヌ・ブロ=ラバレールがデュラス作品の文学史的位置づけを試み、文学作品としての真価を問うてきた。
現在では第2世代とも呼べるベルナール・アラゼやフロランス・ド=シャロンジュ、そして第3世代のシルヴィー・ロワニョンやアンヌ・クソーなど、プレイヤード叢書に関わった研究者がデュラス研究を牽引しているほか、カナダ、アメリカ、オーストラリア、中国、日本、スペインなど世界中で各国研究者による国際規模のシンポジウムが次々と開かれている。ここで取り上げる『マルグリット・デュラス―平凡さの崇高性』の著者であるミレイユ・カル=グリュベールは、ベルナール・アラゼ氏とほぼ同年代の研究者で、ソルボンヌ・ヌーヴェル大学で同氏の同僚(現在はすでに退官)だったこともあり、研究論集である『マルグリット・デュラス』シリーズ[2]の共同編者として名を連ねたこともある。2001年には『20世紀フランス文学史』[3]を上梓していることからもわかるように、ミシェル・ビュトールやクロード・シモンなどのヌーヴォー・ロマンの作家を中心に幅広く20世紀の作家を研究対象としてきたため、狭義のデュラス研究者として認知されているわけではないが、すでに1989年に出版された『小説の錯覚がもたらすフィクション効果』[4]のなかでもデュラス作品を満たす「故意の言い落としというトポス(場)」[5]について言及するなど、デュラス研究に携わる期間は長い。ソルボンヌ・ヌーヴェル大学に移籍する前は、映画学部もあるパリ第8大学の女性研究学部で教鞭を取っていたこともあり、デュラスの文学作品のみだけでなく、映画監督作品も取り上げ多くの女性映像作家と比較しながら分析するなど、講義でも折に触れ、言及し続けてきた。長らくデュラスのみを扱った単著の刊行が待たれていたが、2014年に満を持して発表されたのが本書である。
2. 「遊戯的条件法」から成る映画『トラック』
タイトルの「平凡さの崇高性」は、デュラスの『トラック』(Le camion)[6]から引かれた言葉である。この言葉は、1977年にテクストとしても出版されているデュラス自らが監督した同名の映画作品(同年のカンヌ映画祭にオフィシャルセレクション作品として出品されたが、受賞には至らなかった)のなかで、若かりしジェラール・ドパルデューとデュラスが対話調で読み上げる台詞の一節に置かれている。
G.D. :彼女はどんな感じになり得るでしょうか?
彼女はどんな感じですか?
M.D. :(間)
小さくて
痩せていて
白髪まじり。
平凡。
彼女は平凡さというこの崇高性を持ち合わせている[7]。
「平凡さというこの崇高性を持ち合わせ」た彼女とは、デュラス自身が制作に先立つこと15年程前に実際に自らの車に乗車させた、非常に貧しく、身なりの良くない老女をモデルとしている。道中、老女は「話し続けたが、いつも同じ話を繰り返すばかりだった」[8]とデュラスは語っている。映画のシナリオとして書き下ろされた本作は、タイトルからもわかるようにトラックの運転手とヒッチハイクで彼のトラックに乗車させてもらった女との「有り得たかもしれない」物語を描いたものである。ドパルデューとデュラスが頻繁に用いる条件法は、「有り得べき映画」の輪郭を浮かび上がらせはするが、完結した映画のイマージュを観客に送り届けているわけではないことを示す。不完全な物語を主題として取り上げる作家の真意が、映画のリアリティーを否定することにあるように感じられたために、恐らくはカンヌでの冷ややかな評価を招いたのではなかろうか。「『トラック』はスキャンダルを引き起こした」[9]と監督自ら語っている。
G.D. :これは映画ですか?
M.D. :映画だったかもしれません。
(間)
これは映画です、ええ。
(間)
トラックは消えていったかもしれません。そして、それから再び現れたかもしれません。
海の音が聞こえたかもしれません、遠くに、でもとてもはっきりと。
それから、道端で女が1人待っていたかもしれません。彼女は(ヒッチハイクの)合図をしたかもしれません。そして(トラックが)彼女に近づいたかもしれません [10]。
繰り返される条件法は、物語の総体を明示することを拒むかのようで、観客に居心地の悪さを与えないとも言えない。デュラス自身が語るように「『トラック』は朗読の上演」 [11]を撮ったものに過ぎず、ドパルデューとデュラスの会話のなかに、観客である私たちは「有り得た」映画を想像し、創造するほかない。カル=グリュベールは次のように指摘する。「子供の遊びじみた遊戯的な条件法が、直説法現在に繋がってゆく。想像力が内包するのはリアリティー(réalité)ではなく、フィクションという領域における実現化 (réalisation)である」(p.26)。映画であれテクストであれ、デュラス作品が追求するのはフィクションという領域の内奥を掘り下げ、これを広げることであって、映画におけるリアリティーは当初からその放棄が宣告された形となる。
デュラスは現実世界の映し絵となるようなリアリティーを持たせる映画制作には、終始興味を抱くことはなかった。映像美と、それを破壊するかのようなミカエル・ロンスダール扮する副領事の叫びが印象的な『インディア・ソング』(India Song, 1975)、街を走り抜けるトラックと対照的な室内でのダイアローグが交差する『トラック』、オフヴォイスで語られる兄と妹の愛の対話と、海に面した窓を横切るヤン・アドレアの横顔との隔たりが失われた歳月の長さを象徴する『アガタ』(Agatha, 1981)。どの作品をとっても、映画は現実世界とは異なるトポスを実現しようとしている。デュラスが目指していたのは、フィクションだけが「場」を与え「実現化」できる領域を模索し、これを現前化させることではなかっただろうか。
3.「不在」という場のフォルムを創造する
本書『マルグリット・デュラス』は全8章から成る。副題を冠した第1章「平凡さの崇高性」では映画『トラック』を巡るメタファーの分析が行われ、物語の語り(言説発話)が属するクロノロジーが、映画制作の過程と重なる形で構成されていることが明らかにされている (p.31)。第3章「文学の痛み」や第5章の「物語の裸形」において、執筆の過程で辛うじて骨格を留める状態にまで削ぎ落されたエクリチュールをデュラスの文学作品の特徴として論じた上で、終章「映画の深淵に置かれる映画」が1章の映画分析と呼応するかのように本書を締め括る。『死の病い』連作、『インドシナ』連作、自伝的作品、『インディア・ソング』や『セザレ』、『アガタ』など多岐にわたるデュラスの文学作品や映画作品を横断しながら、カル=グリュベールは映画制作を通してデュラスが目の当たりにし、痛感せざるを得なかったイマージュの揺るぎない現存性に注目する。エクリチュールには、イマージュのように無条件の現存性が確約されているわけではない。映像に現存への疑いをもたらし、逆にエクリチュールにはフォルムをもたらす―デュラスが文学と映像の間を行きつ戻りつしたとすれば、両者の差異を埋めることで、エクリチュールの新しいトポスを模索していたからにほかならない。カル=グリュベールは続ける。「テクストから生み出される発作に対してフォルムを与え[…]、テクストから意味を取り除く(無化させる)のではなく、この無にフォルムを与えること。消去と不在を現存させること」(p.31)。デュラスは、イマージュが顕示してやまないリアリティーの喚起力に触発されながら、エクリチュールというフォルムを纏う瞬間へ遡ることを試みる。
カル=グリュベールは『トラック』の女を、『ロル・V・シュタインの歓喜』で婚約者マイケル・リチャードソンを失った若き女主人公ロルや『ラホールの副領事』でアンヌ=マリー・ストレッテルへの一方的な思いを募らせる副領事、そしてインドシナ連作で描かれる名もない「女乞食」と重ね合わせてゆく。過去の記憶に縛られ、不明瞭な時間軸を彷徨い生きながらえてゆくほかない登場人物たちの姿は、不確かな物語の記憶を紡ぐかのように、エクリチュールが剥き出しとなる奥底まで降り立つ作家自身の姿と重なる。
4.映画制作と文学創造の狭間で
多くの研究者が指摘するように、60年代から80年代にかけてデュラスは作家活動と並行して映画制作に積極的に取り組んできた。同時期、アラン・ロブ=グリエなどデュラス同様に映画を手掛けた作家も多いが、映像とオフヴォイスの乖離を全面的に推し進めたデュラス作品が、映画史のなかで果たした役割はとりわけ大きい。1966年の『ラ・ミュジカ』(La Musica)で初めて自身のシナリオによる映画制作を手掛けたデュラスはその後1984年に制作され、翌年発表された『子供たち』(Les Enfants)に至る約20年間のあいだに、およそ20本もの映画を撮り続けた。『ヒロシマ・モナムール』(1959年)や『かくも長き不在』 (1961年)など他監督作品へのシナリオ提供なども合わせれば、デュラスの創作活動において映画との関わりがいかに長く深かったかがわかる。デュラスが映像をエクリチュールに劣るものとして執拗に糾弾し続けたという事実も、映画制作がテクストの創作に多大な影響を落とした何よりの証拠である。映像が観客の想像力を枯渇させてしまうことを非難していたデュラスではあったが、映画の有する直接性については惜しみなくこれを称賛している。
活字に置き換えようとすると、いつだって私たちは書かれたもの、言語によって一杯になってしまうでしょう。すべてを翻訳しようなんて無理なんです、すべてを理解するなんて。他方でイマージュのなかでなら、あなたも完璧に書くことができます、撮影された空間すべてが書かれる、本の空間の幾倍にも値する[12]。
映像の持つ直接性、あるいは翻訳手段としての正確さは、エクリチュールの限界を露呈させるが、この限界を克服することが今やエクリチュールの課題そのものとなる。しかしそれはイマージュの代替としてエクリチュールを再創造することではない。イマージュのその先へと進むこと。
映画は知っている:これまで、テクストの代わりになれたことなど一度として無かったことを。
それでもテクストの代わりとなる道を模索する。
テクストだけがイマージュの不確定な運び手であることを、映画は知っている。しかしテクストに戻ることはもはやできない。どうやって戻ったらいいのか、もうわからない [13]。
「無」がエクリチュールという「フォルムを与え」られたとき、テクストは映画の遥か及ばない喚起力を一人一人の読者のなかにもたらすことを許される。レクチュールを通して読者が築き上げる内奥の世界は、「フォルムを与え」られず、座礁してしまった無数の物語を喚起する余白をも、持ち得るからである。
5.創造行為を問う作家として
自らも『内部分断』[14]や『アクナトンの墓』[15]ほか小説を発表してきた作家でもあるカル=グリュベールの研究書は、書き手として作家デュラスと向き合った一冊でもあり、その推敲された一節一節がデュラス作品の引用とモザイクのように交差し合って、研究書の域を超える。デュラス世界に生きるとりわけ女性の登場人物を巡る分析において、ジャック・デリダの「アポカリプス」、ジャン=フランソワ・リオタールの「声」、フィリップ・ラクー=ラバルトの「動物回帰」、ジャン=リュック・ナンシーの「セクシュアリティー」などの哲学的思索を引きながらデュラス作品を分析する一方で、一作家としてデュラス文学の創造性に肉薄してゆくさまは圧巻である。カル=グリュベールは「衰退と喪失の美学が、デュラスにとって文学と映画の関係を司る」(p.129)とも指摘しているが、「喪失」とはここでデュラス作品の主要なテーマである失われた過去を指すのではなく、映画制作を経て作家が見出したエクリチュールのただ一つの存在理由を指しているのではないか。「真実の裸体は、自らを形成している不可視性へと差し向け、この不可視性は残滓を欲するままにさせる」(p.82)。エクリチュールが無数の残像を孕む不可視性を現出させるまで、これを削り落すこと、それが映画制作を経てデュラスが自らに課した境地となる。タイトルとして引用された「平凡さの崇高性」は、言語というこの平凡極まりない道具と格闘する作者の創造行為の意味を、ともに問いかけた作家カル=グリュベールの心情もまた、吐露する言葉にほかならない。
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注
[1] Œuvres complètes de Marguerite Duras, Gallimard, bibliothèque de La Pléiade, Paris, vols I et II publiés en 2011, vols III et IV publiés en 2014.
[2] Série Marguerite Duras, Lettres modernes Minard, Caen. Vol I, sous la direction de Bernard Alazet et Mireille Calle-Gruber, 2005, vol II, sous la direction de Myriem El Maïzi et Brian Stimpson, 2007, vol III, sous la direction de Sylvie Loignon, 2009, vol 4, sous la direction de Florence de Chalonge, 2011.
[3] Mireille Calle-Gruber, Histoire de la littérature française du XXe siècle, Honoré Champion, Paris, 2001.
[4] Mireille Calle-Gruber, L’effet-fiction de d’illusion romanesque, Nizet, Paris, 1989.
[5] Ibid., p. 65.
[6] 映画『トラック』は1977年カンヌ正式出品作品で、脚本・監督ともデュラスが担当し、自ら出演もしている。テクストとして刊行された『トラック』にはミシェル・ポルトとの対談も収録されており、同年のカンヌ映画祭期間に出版されている(Le camion, suivi de Entretiens avec Michelle Porte, Éditions de Minuit, 1977)。
[7] Le camion, dans les Œuvres complètes de Marguerite Duras, op. cit., vol. III, p. 297.
[8] Marguerite Duras, La Couleur des mots, entretiens avec Dominique Noquez, Éditions Benoît Jacob, 2001, pp. 145-146.
[9] Interview de Marguerite Duras par Henry Chapier et France Roche, magazine télévisé Midi 2, Antenne 2, 21 mai 1977.
[10] Le camion, op. cit. , p 268.
[11] Entretien avec Marguerite Duras par Claire Devarrieux, Le Monde, 16 juin 1977.
[12] Marguerite Duras, Les Lieux de Marguerite Duras, dans les Œuvres complètes de Marguerite Duras, op. cit., t. III, p. 236.
[13] Le camion, op. cit., p. 304.
[14] Mireille Calle-Gruber, La division de l’intérieur, L’Hexagone, Montréal, 1996.
[15] Mireille Calle-Gruber, Tombeau d’Akhnaton, Éditions de la différence, Paris, 2006.