憐憫の行方
ルソーにおける「憐憫」のためのノート
淵田仁(日本学術振興会特別研究員)
1.憐憫の居場所
ルソーが自身の作品群で提示した様々な概念・着想のなかで、その〈取り扱い〉が困難なもののひとつに「憐憫 pitié」がある[1]。「私たちが苦しんでいる人たちを見て、熟慮することなく彼らを助けるよう私たちを仕向けるもの」[2]という憐憫は、自然状態においてだけではなく、社会状態にも存在するだろうし、私たち自身もそれを感じるような瞬間があることは疑い得ない。
しかしながら、近代政治思想史において憐憫は政治の領域から閉め出されてきた。つまり、公的空間において憐憫が入り込むことは公共性の堕落に繋がるという発想が多くの論者によって共有されていた。
とはいえ、憐憫は社会的な紐帯、共同体の構成要因として、〈時折〉姿を見せる。ある出来事や何らかのショックが共同体、政治体に与えられると生体反応のごとく憐憫の感情が人々の間で生起する(世界中で起きている大災害やテロリズムを想起すればよい)。そして、憐憫は崩壊しかける共同体を回復させる契機になる。もしくは、共同体を崩壊させる契機にもなる。
この意味において、公的空間に生きる私たちは憐憫とは手を切れないのである。では、どうすればよいか。憐憫をできるだけ政治の領域から排除することを私たちは求められているのだろうか。もしくは、道徳的な基礎としてのみ憐憫を〈使う〉にとどめるべきなのだろうか。もし、そうだとすれば、政治と道徳はどのように関係することになるのだろうか。
憐憫を巡る問いを考えることは、〈政治的なもの〉および〈道徳的なもの〉の諸関係を考えることに繋がる[3]。ゆえに、このノートではルソーの「憐憫」概念そのものを検討するための予備作業として、その概念がどのように批判され、無視され、擁護されてきたかを検討し、憐憫の行方を問いたい。
2.憐憫の〈使えなさ〉
『人間不平等起源論』が世に出て以来、憐憫を巡る解釈は様々な〈読みの可能性〉を提起してきたのであるが、このノートでは憐憫の〈使えなさ〉を強調する二つの解釈を取り上げる。何において〈使えない〉かと言えば、それは政治においてである。今から取り上げる「憐憫」解釈は、異なる理由でこの心的運動を政治の空間から排除する。つまり、ルソーの政治思想に憐憫を組み込むためには、これらの解釈と対決する必要がある。よって、それら解釈を明確にすることがここでの目的となる。
通常、「憐憫」概念はルソーの思想のなかで積極的な政治思想の概念として位置づけられてきたというよりも、先行する思想家たちを批判するための戦略的概念[4]と見なされてきた。つまり、自然状態を〈万人の万人に対する闘争〉と見るホッブズに対して、自然状態は社会が存在しない平和な状態にあるということを訴えるためにルソーは憐憫という「原理」を導入した[5]。上記のように、憐憫をあくまでも対ホッブズという戦略的概念として理解する所以は、ある解釈史的土壌にある。それはカッシーラーのテーゼである。カッシーラーの関心は、ルソーにとって道徳は何によって基礎づけられるか、であった。『ジャン=ジャック・ルソー問題』のなかで、彼はこの問題にひとつの回答を与えている。カッシーラーによれば、「ルソーはこの世紀の支配的な見解に反して、倫理学の基礎付けから感情を排除して」[6]しまった。シャフツベリやスミス、ディドロといった多くの同時代人たちは「道徳の起源の問題を心理学的問題」[7]として考え、道徳的源泉として「共感感情〔sentiments de sympathie〕」を据えたのであったが、ルソーはこの路線を採用することなかった。このようにカッシーラーは考えた。つまり、ルソーの憐憫という感情は倫理的基礎付けにはなりえない[8]。
しかし、このようなカッシーラーの解釈はルソーの政治思想を「ジレンマ」へと追い込むことにもなる。
「けれども、かくしてわれわれはルソー自身の理論に関しても、新しいジレンマに直面しているかに思われる。なぜなら、ルソーが十八世紀の心理学的オプティミズムを拒否するとき、かれはそれによって自分の足下からも地盤をとり去ってしまったように見えるからである。このオプティミズムこそ、人間本性の「本源的善性」というかれの主張の最強の、否、唯一の支柱ではないか? まさしくこの教説こそがかれの哲学の中心にあり、かれの形而上学、かれの宗教哲学、かれの教育理論の焦点をなしているものではないのか? 心理学的オプティミズムを放棄することによってルソーはふたたび神学的ペシミズムのもとに追いやられるのではないか? かれがあれほど激しく斥け反対した「原罪」のドグマにまた落ち込むことになるのではないか?」[9]
〈人間は本源的に善である〉というテーゼを自身の思想の核に据えていたルソーは、社会的感情の操作から社会を構築しようとしていたフィロゾーフと手を切る。この戦略を論理的に推し進めた場合、ルソーの社会構想はどのようにして可能になるのだろうか。「本源的善性」というテーゼに依拠できないルソーは、倫理学的基礎を何に求めればよいのだろうか。これがルソーの「ジレンマ」となる。そのジレンマをルソーはどのように突破したのか。この解決法に関して、カッシーラーは次のように述べた。
「ところが、まさしくここにおいてルソーに一つの新しい道が開かれるのである。かれに特徴的な独自な点は、かれがこの神学的ペシミズムに対する防衛をシャフツベリや自然法が求めたのとは別の場所に求めたというところにある。かれが主張し、また終始そのために戦った人間の「善性」とは、決して感情の根源的な性質なのではなく、人間の意志〔volonté〕の根本方向、根本規定なのである。したがって、この善性のよって来たるところは、共感への本能的な傾向といったものにあるのではなく、自己決定〔autonomie〕の能力にある。それゆえ、その真の証明は自然的な善意の衝動にではなく、個々人の意志が自発的に服従する道徳法則の承認にこそある。」[10]
カッシーラーは、ルソーが進んだ道を人々の「意志」による「自己決定」だと見なした。ゆえに、『社会契約論』はルソーの作品における金字塔となるのであり、自発的な意志に基づく「社会契約」のみが最良の社会を生み出すことができるのである。政治的、倫理的空間に憐憫や共感といった感情が入り込む余地はない。世界に対して挫折を強いられた感情は、意志へと向かう[11]。こうして、カッシーラーによってルソーはカントの先人として位置づけられたのである。「ルソーの倫理学は決して感情の倫理ではない。カント以前に樹立されたいちばん確固たる形の純粋法則倫理学である」[12]。
次に、もうひとつのルソー解釈を提示しよう。それは、先のカッシーラーの主張とは全く異なる。その解釈においてルソーは感情を政治に結びつけた罪で断罪されることになる。そのような解釈を示したのが、ハンナ・アーレントである。
アーレントは以下のようにルソー思想を批判していた。ルソーは憐憫を政治思想のなかに取り入れ、人民の完全一致を要求する「一般意志」を憐憫の延長線上に配置した、と。そして、アーレントは憐憫を彼女の考える「連帯」を可能にするものではないと結論づけた。このような「憐憫」理解は正しいのだろうか。確かに、彼女自身、ルソー自身よりも同情によって人民を動かそうとした自称ルソー主義者たち(ロベスピエール、サン=ジュスト)に対して批判を強めているように見える。とはいえ、ルソーの政治思想そのものにもアーレントの憤りが向けられているようである。
アーレントによれば、ルソーの憐憫は「人間関係の基礎」である。「ルソーは、他人の受難にたいするもっとも自然な人間的反応は同情〔compassion〕であり、したがってそれが真実の「自然的な」人間関係の基礎そのものであると考えていた」[13]。個々人の連帯化——もちろん、アーレントにとっては〈悪しき〉連帯化なのであるが——の契機として、アーレントはルソーの政治思想の基礎概念として憐憫を位置づけている。
「一般的な人間的連帯化というこの大きな努力のなかで、重要なものは、積極的な善よりも、むしろ無私〔selflessness〕、すなわち他人の苦悩のなかに自分自身を無にする能力〔capacity〕であった。」[14]
憐憫は個々人の連帯化を促す「自分自身を無にする能力」である、とアーレントは言っている。このアーレントの結論を私たちは受け入れるべきだろうか。そして、ルソーの政治思想において憐憫は「人間的連帯化」の基礎となるのだろうか。
以上のように、憐憫の政治的、倫理的な位置づけを巡るルソー解釈は分裂している。カッシーラーは、自律的個人による社会契約には憐憫という感情は不必要であると判断し、他方、アーレントは憐憫に基づく連帯のなかに〈政治的なもの〉の堕落を見た[15]。
このようにルソーの「憐憫」概念の解釈史を振り返ると、この概念はある意味〈厄介払い〉を受けているという印象を私たちは抱く。すなわち、憐憫は道徳の基礎にもなり得ないし、政治に憐憫が入り込むと政治は崩壊する。憐憫がルソーの思考のなかで生きるのは、対「社会性(sociabilité)」理論——そしてそれを前提とする自然法思想——においてのみである、と。これだけが憐憫の役割であり、それ以上でもそれ以下でもない、というように私たちには思えてしまう。
カッシーラーやアーレントの解釈を踏まえれば、O・クリフォードやC・ラレールが論戦している〈憐憫は政治的なものか道徳的なものか〉という二項対立図式[16]——つまり、憐憫は共同性の構築を担保するものか、道徳規則を作るものか——には、終わりはない。答えは、ウイであり、ノンでもある。なぜならば、憐憫は〈中途半端〉な概念[17]であるからだ。道徳的にも政治的にも〈使えそう〉だが、〈使えない〉。これが「憐憫」概念に与えられた思想的位置づけなのである。
3.ルソーにおける「憐憫」概念の〈厄介さ〉
次に、ルソー研究それ自体における「憐憫」概念の位置づけに目を転じてみよう。これに関しては、2012年に出版された佐藤真之の『ルソーの思想とは何か:人間であり、市民であること』の記述が簡潔に纏めている。以下、「憐憫」研究史に対する佐藤の注を引用する。
「とりわけ「憐れみ」については、既成のルソー研究において極めてぞんざいな読解が横行している(言い方を変えれば、これはいまだにルソー解釈におけるアポリアである)。「憐れみ」の概念がルソーの自然状態論にとって全くの蛇足であるとするマスターズの議論や(Roger D. Masters, The political philosophy of Rousseau, Princeton, N.J., Princeton University Press, 1968, pp. 138-9)、これに類するゴールドシュミットの議論(Victor Goldschmidt, Anthropologie et politique : Les principes du système de Rousseau, Paris, J. Vrin, 1974, p. 340)、そして、「憐れみ」と「良心」の区別を無視し、さらには文脈をも度外視して、ルソー作品においては人間の「改善能力」(perfectibilité)の概念がしばしば(デウス・エクス・マキナのごとく)テクスト読解上の矛盾を解消する、とするドゥラテの議論などそうした例に挙げておく(Robert Derathé, Jean-Jacques Rousseau et la science politique de son temps, Paris, Presses Universitaires de France, 1950, pp. 148-9. 邦訳、R・ドラテ『ルソーとその時代の政治学』、西嶋法友訳、九州大学出版会、1986年、135–7頁)。」[18]
佐藤の表現は極めて厳しいものである。とはいえ、このようなルソー解釈が紡ぎ出されてきた理由は二つある。ひとつは、「憐憫」概念の非一貫性である。『人間不平等起源論』と『言語起源論』そして『エミール』における憐憫の定義[19]が異なるという理由から、「憐憫」概念は一時的なもの、未成熟なものという解釈が引き出されてきた。すなわち、『不平等起源論』では、憐憫は反省に先立つものと定義されていたのに対し、他の二作品では憐憫は想像力の助けによって現勢化すると記述されていた。そして、この憐憫の定義問題は、『言語起源論』の執筆年代に関する議論において論拠のひとつとして言及されてきた。
もうひとつの理由は、『社会契約論』において憐憫という語が用いられていないということである。彼の政治理論では、「憐憫pitié」という語は身を潜め「利害intérêt」が説明原理として多用される[20]。もちろん、ルソーの政治理論から憐憫が〈完全に〉消去されているわけではまったくない[21]。ルソーはコスモポリタニズム的人類愛への可能性を憐憫のなかに見ていたようにも見える。しかし、そのような可能性に賭ける期待は彼の著作を追うごとに減じていったのであった[22]。
以上、二つの理由から、ルソーの政治思想を語る上で憐憫は無用のものであるという見方が強まったのである[23]。
このような研究状況に新風をもたらしたのが、ブリュノ・ベルナルディの議論であろう。「「一般意志」および彼が「公共的理性」と呼ぶものの形成に情念がはたす役割を認める点が、ルソーの政治思想の特異性なのである」[24]。すなわち、「社会契約」と「一般意志」という二つの主要な理論的軸に加えて、ルソーの政治思想のなかに「社会的一体性の情動(affects de cohésion sociale)」[25]という別の軸を組み込むことがベルナルディのルソー解釈の要点であった。ベルナルディの読解によれば、この情動は共同体性や公共性というものを市民にもたらす再帰的な装置である[26]。先に私たちが確認したカッシーラーのテーゼに、ベルナルディの議論は真っ向から対立する。一般意志と一体化する市民的生の条件として情動は位置づけられる。
ところで、ベルナルディが重視する「社会的一体性の情動」のなかに憐憫の居場所は存在するだろうか。ベルナルディはこの点を明確にしていない[27]。とはいえ、なぜこのような戦略をベルナルディが選びとるのかと言えば、彼が〈いかに法を愛させるか〉という問題の解決を全体主義的ではない形でルソーのテクストから引き出そうとしているからである。つまり、世論としての市民的情動をどのように一般意志と調停させるかが、ベルナルディの論点なのである。このような戦略の下で、ベルナルディによって駆り出された情動とは一体何であろうか。私の見立てでは、そこに憐憫の姿はない[28]。おそらく、あの粗野で荒々しく、そして時にはひ弱な憐憫という心的運動はベルナルディの考える情動の外に位置するのだろう。
憐憫の居場所はつねにあらゆるものの〈周辺〉と決まっている——とはいえ、憐憫は私たちの視界から消えることはないのだが。
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注
[1] このノートでは言及できないが、この困難さからジャック・デリダの「憐憫」読解は生まれたと言ってもよい(Jacques Derrida, De la grammatologie, Paris, Minuit, 1967, pp. 259–272)。『人間不平等起源論』から『言語起源論』へ至るなかでルソーは「憐憫」概念に修正を加えたという研究史上の定説に対して、デリダは明確に反論を加えている。その際、デリダは「同一化identification」の問題に着目している。とはいえ、その着目の仕方はデリダらしい。「真の同一化はある種の非–同一化のなかにしか存在しない」(ibid., p. 269)というデリダ特有の逆説的テーゼは、ルソーにおける「憐憫」概念の限界を指摘すると同時に政治空間における憐憫の〈居場所〉の確保にもなっているように思われる。これ以上デリダに言及することはここではできないが、デリダの導きの糸が念頭に置かれ、このノートは書かれている、ということだけは言い添えておきたい。
[2] Rousseau, Discours sur l’inégalité, 1ère partie, OC III, p. 156. 本ノートではプレイヤード版ルソー全集(Jean Jacques Rousseau, Œuvres complètes, 5 vols, publiées sous la direction de Bernard Gagnebin et Marcel Raymond, Paris, Bibliothèque de la Pléiade, 1959–1995)を用い、OCと略記する。引用の際には、作品名、作品内章編、OC巻数、頁数を示す。
[3] もちろん、〈政治的なもの〉や〈道徳的なもの〉、他には〈社会的なもの〉等の言い回しそれ自体が、それらが何を意味しているのか不明確であるということの証左であろう。しかし、問題はこの〈〜的なもの〉という曖昧な表現が、そうとしか表現し得ないという私たちの認識の不可能性、およびこれまで厳密に区別されていた——もしくは区別できると信じられていた——〈公と私〉が曖昧となっているという事態を意味している。Cf. 宇野重規『つながる:社会的紐帯と政治学(政治の発見第四巻)』、風行社、2010年 ; 市野川容孝・宇城輝人編『社会的なもののために』、ナカニシヤ出版、2013年。
[4] その戦略性は、論理だけに存するのではなく、修辞的側面にも存するということをここでは指摘しておかねばならない。つまり、憐憫という概念装置はホッブズをロジカルに批判することを可能にするだけではなく、読者自身が感じる(経験する)憐憫の感情の存在がルソーの議論をより説得的しているのである。つまり、〈内面の声〉の問題である。
[5] Charles Porset, « Remarque », dans Rousseau, Essai sur l’origine des langues : ou il est parlé de la mélodie et de l’imitation musicale, éd. critique, avertissement et notes par Charles Porset, Paris, A. G. Nizet, 1968, pp. 22–3 ; Victor Goldschmidt, Anthropologie et politique : les principes du système de Rousseau, Paris, Vrin, 1974, p. 340 ; Catherine Larrère, « Sentiment moral et passion politique : la pitié selon Rousseau », Les Cahiers philosophiques de Strasbourg, tome XIII, 2002, p. 175. この解釈を主張する論者として、『言語起源論』校訂者のC・ポルセを挙げることができよう。ポルセは憐憫の概念規定に関するテクスト上の矛盾から『言語起源論』が『人間不平等起源論』の後に書かれたテクストであると断定している。
[6] Ernst Cassirer, Le problème Jean-Jacques Rousseau, trad. Marc B. de Launay, Paris, Hachette, 1987, p. 86.〔カッシーラー『ジャン=ジャック・ルソー問題』、生松敬三訳、みすず書房、1974年、71頁。〕
[7] Ibid., p. 87.〔同書、同頁。〕
[8] 佐藤の解釈によれば、『不平等論』においてルソーは道徳を憐憫によって基礎付けることに失敗——理論的構造から必然的に導かれる失敗——したが、『エミール』へと至るなかで憐憫を「良心」概念へと練り上げ、道徳の基礎付けを試みていた(佐藤真之『ルソーの思想とは何か:人間であり、市民であること』、リベルタス出版、2012年、第二章)。佐藤の議論の要点は、憐憫と良心を「反省(およびそれが呼び起こす社会的で相対的な情念)に先立つ感情」(前掲書、59頁)としてルソーが規定し、そしてこの規定の同質性を理由に憐憫から良心へとルソーの道徳思想の基盤は進化したと解釈することにある。
[9] Cassirer. op. cit., p. 92.〔カッシーラー、前掲書、75頁。〕
[10] Ibid., pp. 92–3.〔前掲書、75–6頁。〕
[11] 「ルソー自身、この世界に対してはたんなる感情の個人的豊かさや強さというものは無力であり、その世界によって打ち砕かれてしまうおそれがあることを体験していた。だから、多感な熱狂家であったかれは、この新しい決断の前に立たされて、ラディカルな政治家となったのである」(Ibid., p. 95.〔前掲書、78頁。〕)
[12] Ibid., pp. 81–2.〔前掲書、67頁。〕カッシーラーの主知主義的ルソー解釈に対して、ドラテは明確に反論している(Cf. Robert Derathé, La rationalisme de J.-J. Rousseau, Paris, PUF, 1948, chap. III)。簡潔に言えば、彼らの論点の対立点はルソーにおける〈良心conscience〉の位置づけにある。良心が理性の側に属するのか(カッシーラーの立場)、もしくは感情の側か(ドラテの立場)ということがこの論争の焦点になっていると言ってよい。もちろん、この点を議論するには、良心、理性、感情などの各概念がルソーにおいてどのように区別されているのか(もしくは曖昧なのか)を検討せねばならない。
[13] Hannah Arendt, On Revolution, London, Penguin Books 1990, pp. 79–80.〔ハンナ・アレント『革命について』、志水速雄訳、筑摩書房、ちくま学芸文庫、1995年、119頁。〕
[14] Ibid., p. 81.〔前掲書、121頁。〕
[15] 憐憫による「人間的連帯化」は社会的弱者、すなわち困窮する者たちにおいて為される、とアーレントは考えていた。アンシャン・レジームを通じて醸成された「社会問題」の解決として革命が要請されたという点をアーレントは批判しているのである。ゆえに、憐憫は持たざる者の感情であり、堕落した感情である。反対に、アダム・スミスの「共感sympathy」にはそのようなルサンチマン的感情は存在せず、そこには貧困という「胃袋の問題」は存在しない。このようなルソーの「憐憫」感情に貧困の問題を挿入する見方に対し、異議を申し立てる研究としては以下のものがある。Larrère, op. cit., 2002 ; 古茂田宏「ハンナ・アーレントの革命論——自由と〈胃袋〉の問題」、吉田傑俊・他編『アーレントとマルクス』、大月書店、2003、16–46頁。また、アーレントのルソー批判そのものの成否に再考を促す研究は近年複数存在するが、それらを纏めたものとしては西川の研究を参照せよ。西川純子「アレント『革命について』におけるルソー批判の検討」、『年報地域文化研究』、第17号、2013年、68–90頁。
[16] Orwin Clifford, « Rousseau et la découverte de la compassion politique », dans Écrire l’histoire du XXe siècle, no 2, Paris, Seuil-Gallimard, 1994, pp. 98–116.(クリフォード・オーウェン「ルソーと政治的同情心の発見」、神吉尚男訳、『白鴎法學』、21号、2003年、pp. 233–262。)
[17] ルソーの政治理論の特徴として、〈中途半端さ〉を忌避する姿勢を挙げることができるかもしれない。例えば、「市民宗教」がそれに該当するだろう。社会契約によって構成された共同体のメンバーは、その契約を履行する義務を負わねば排除される。〈守るの?守らないの?〉という問いを構成員に突きつけるルソーの政治思想には、憐憫といった〈中途半端〉な着想は馴染みにくように思われる。また〈中途半端さ〉を避ける姿勢としては、『エミール』第一編冒頭の言葉が想起される。「我々の種〔人間〕は中途半端〔à demi〕に形成されるのを好まない」(Rousseau, Émile, Livre I, OC IV,p. 245)。〈人間か市民かどちらになるのか〉という問いをルソーは私たちに突きつけ決断を迫るのであるが、憐憫はこの決断に水を差す。この憐憫における〈中途半端さ〉に着目することが、憐憫の行方を把握する鍵になると思われる。
[18] 佐藤真之『ルソーの思想とは何か:人間であり、市民であること』、リベルタス出版、2012年、42頁。
[19] 「憐憫」概念の変化に関する研究は多くあるが、近年のものとしては以下の論文を参照。吉田修馬「『エミール』における憐れみについて」、『エティカ』、第5号、2012年、23–42頁 ; Jean-François Perrin, « Modifier la langue pour s’orienter dans la science : théorie de la pitié et lexique de l’identification chez Rousseau », Penser l’homme : treize études sur Jean-Jacques Rousseau, sous la direction de C. Habib et P. Manent, Paris, Classiques Garnier, 2013, pp. 95–113. とりわけ、J-F・ペランの研究はルソーが憐憫の定義する際に当時神学用語であった「同一化identification」という用語を用いている点に着目し、彼の「憐憫」概念は政治思想の領域に新しいプロブレマティックを切り開いたということを強調している。このペランの論点をB・ベルナルディが着目する「一般化généralisation」と併せて考えると、新しい視点を開拓できるのではないだろうか。
[20] もちろんこの傾向はルソーに限らず、政治思想史上で生じた大きなパラダイムシフトであることはハーシュマンの研究によって明らかとなっている。アルバート・O・ハーシュマン『情念の政治経済学』、佐々木毅、旦祐介訳、法政大学出版局、1985年。
[21] 例えば以下の論文を参照。吉田修馬「『人間不平等起源論』における憐れみと自然的善性の格率の問題」、『エティカ』、第1号、2008年、1–24頁。
[22] 川出良枝「ルソーにおける「祖国への愛」と「人類への愛」」、『思想』、岩波書店、2009年11月号 156–7頁。
[23] 2010年5月号の『思想』(岩波書店)では「情念と政治」がテーマとして掲げられている。そこでは、ホッブズ、パスカル、ヒューム、カント、トクヴィルらの政治思想から現代思想に至るまでの様々な思想家たちにおける情念の政治性について鋭い検討が加えられているが、驚くべき事に「ルソー」という語はまったく表立っていないし、言及されることもない。もちろん、この事実は執筆者らの専門による単なる偶然ではあるが、この特集号におけるルソーの〈不在〉そのものがルソーの理論における憐憫の〈座りの悪さ〉を示していると言ってよいであろう。
[24] ブリュノ・ベルナルディ「第3章 ルソーとともに〈世論〉を再考する」(三浦信孝訳)、『ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学:一般意志・人民主権・共和国』、勁草書房、2014年、103頁。
[25] 同書、同頁。
[26] ベルナルディはこの装置として『社会契約論』第四編第七章でルソーが論じる「監察官Censeur」に着目している。同書、87–95頁。
[27] ベルナルディが初めて「社会的一体性の情動」という語を用いた論文においても憐憫について検討されることはなかった。Cf. Bruno Berbardi, « Rousseau et la généalogie du concept d’opinion publique », Jean-Jacques Rousseau en 2012 : puisqu'enfin mon nom doit vivre, sous la direction de Michael O’Dea, SVEC, Oxford, Voltaire Foundation, 2012, pp. 95–127.
[28] ベルナルディは「一体性cohésion」という語を重視しながらも、なぜか彼はルソーが憐憫を説明する際に用いる「同一化identification」には着目しない。一体化の自然的・根源的現象としての憐憫をベルナルディが避ける理由を私たちは考えねばならない。もちろん、ベルナルディが« cohésion »という語にこだわる理由が彼の以前の研究である〈ルソーと化学〉の問題系にあることは確かであり、この研究に即して彼のルソー解釈が成立しているということは指摘しておきたい(Bruno Bernardi, La fabrique des concepts : recherches sur l’invention conceptuelle chez Rousseau, Paris, Honoré Champion, 2006)。