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「制作」から「地層学」の確立へ――ブリュノ・ベルナルディの研究軌跡

飯田賢穂(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)

1. はじめに

ブリュノ・ベルナルディの研究方法の基本は、ルソーが用いた概念一つひとつを注解してゆくことにある。ベルナルディの注解は各概念の哲学史的射程を明確にしつつ、このような歴史的背景を持った概念がルソーのテクストの中でどのような効果を持つかを明らかにしようとする。そしてこの注解は、ベルナルディが共同研究者とともにヴラン書店から出版した3冊の校訂本[1]に代表される手稿研究の成果に支えられているのである。今日、特にルソーの政治哲学を研究する上でベルナルディの著作を参照しなければならない最大の理由は、彼のこのような研究方法すなわち注解にこそある。

2006年にオノレ・シャンピオン社から出版された初期の代表作『概念の工房:ルソーにおける概念発明の研究』[2]の中で、注解はすでに基本的方法のひとつとなっており、ベルナルディはこれを自家薬籠中の物として使っている。同書の中で、ベルナルディは概念生成という見地に立って注解を実践している。同書において注解とは、一つひとつの概念がどのように生み出されたのかを解明する作業なのである。

ルソーの〈執筆活動〉を視座として据えた場合、概念生成は〈概念を制作する(fabriquer)活動〉として捉え直すことができる。『概念の工房』は、この見地に立ちつつ最初期の手稿『化学教程』(1747年頃執筆終了)から『社会契約論』(1762年出版)までのルソーの様々な著作を検討している。

『概念の工房』以降、手稿分析がベルナルディの研究の中心を占めるようになるが、この手稿分析においても、概念生成のプロセスをたどる注解という基本スタイルは維持されている。

他方で、『社会契約論』の前身をなす手稿の一部(通称『ジュネーヴ草稿』)を扱った校訂本の序文の中で、ベルナルディは「地層学(stratigraphie)」という研究方法論上の新しい視点も提案している[3](なお「地層学」は、同校訂本の出版の翌年刊行された論文「ルソーを読みルソーを校訂すること」[4]でも再び取り上げられる)。「地層学」は、『概念の工房』の論展開の主軸をなす概念制作という視点を核にしつつ、その後の手稿研究の過程で得られた知見を踏まえて形成された方法論上の視点である。

『概念の工房』の執筆から「地層学」の視点を獲得するまでの研究過程において、ベルナルディはルソー研究における重要な論点をいくつも提示しているが、これらの論点は金の鉱脈の入り口とでも評すべきものであり、この入り口からさらに鉱脈を掘り進めることが、今後の特にルソー政治哲学研究には求められるだろう。

本稿の目的は、『概念の工房』の検討を主軸に据えて、同書に示される論点のいくつかを紹介し、どのような点でそれが重要であるのかを明確にすることである。同時にベルナルディ自身が論点を掘り下げる過程において問題を生じさせてしまっている側面もあるので、その批判を通じて今後のルソー研究のひとつの指針を示したい[5]

2. 『概念の工房』の読解――「政治的一体性」説を例に

a. 〈概念の制作〉とは何か

『概念の工房』の序文の中でベルナルディは「制作する(fabriquer)」という語を説明するためにしばしば「概念発明(invention conceptuelle)」という表現を用いている[6]。副題でも使われている「発明(invention)」とは第一義的には概念を「形成する(former)」という行為である。そしてベルナルディが着目するのは、この行為の「プロセス」であり[7]、この視点が概念生成の場としての手稿に対する強い関心へとつながったと考えられる。また、「形成」には、ある領域で使われてきた既存の概念を他の領域の文脈の中で使うことによってこれを新しい概念へと鍛え上げるという重要な要素が含まれている。つまり「発明」とは「形成」であり、また領域をまたいで行われる「変形(transformation)」であり[8]、決して無からの創造(création)ではない。その顕著な例が、ルソーが化学概念を「範型(paradigme)」[9]として政治学概念を精錬したことである。

b. 化学モデルから「政治的統一性」の問題へ

ベルナルディが問題とするのは、『社会契約論』第1編第5章で説明される「烏合(agrégation)」と「結合(association)」の区別である。同章によれば、ひとりの主人が服従させている奴隷の集まりは「言うなれば烏合であるが、しかし結合ではない」[10]。両概念の区別が化学における「凝集(agrégation)」と「混合〔物〕(mixte)」の区別に由来するとベルナルディは主張している。

彼の判断の根拠になったのが『ジュネーヴ草稿』第1編第2章の第9段落である。そこでは実際に化学概念が政治学の領域で援用されており[11]、その目的はディドロが執筆した『百科全書』の項目「自然法」中の「一般社会」(=人類共同体)という考え方を批判することにある。

「もし仮に一般社会なるものが哲学者の体系の外に実在するとすれば、すでに述べたように、その社会はこれを構成する特殊個別的な存在〔=個人〕とは隔絶した固有の特性を持つ道徳的な存在ということになるだろう。それはあたかも化学的構成物(composés chimiques)の特性が、それを構成する混合物(mixtes)からは受け継がれることがないように。〔この社会には〕何らかの普遍的な言語があることになり、自然がこの言語を人間に教えるということになるだろう。この言語が、人間が相互に通じ合うための最初の道具ということになるだろう。すなわち一種の共通感覚(sensorium commune)があり、これが部分すべての連絡に役立つということになるのだろう。公的な善悪は、凝集(agrégation)の場合のような特殊個別的な善悪の単なる集積である以上に、むしろその善悪を一体化させる結合のうちに公的な善悪はあるのであり、これは〔特殊個別的な善悪の〕集積よりも大きなものであろう。つまり個々の人びとの幸福のうえに〈それを犠牲にして〉公の福祉(félicité publique)が築かれるのではなく、むしろ公の福祉が個々の幸福の源泉であるということになる。」[12]

ベルナルディは「化学的構成物」という表現に着目し、これを軸に『ジュネーヴ草稿』第1編第2章第9段落を解釈する。

まずはルソーがこの第9段落で使っている化学用語に少し触れておこう。« Mixtes »は「混合物」であり、それらが一体化することによって« composé »すなわち「構成物」が生みだされる。そしてこの構成物はどういうわけかその要素である混合物には見られない性質を有しており、この性質変化の謎を解くことがかつての化学のひとつの目的であった。構成物は、物質の単なる寄せ集めあるいは「集積」としての« agrégation »すなわち「凝集」とは定義上区別されるものである。というのも、凝集においては、集められた物質それ自体の性質変化は起こらないからである。

『化学教程』(第1編第3章)で、ルソーが読者の注意を促すのは、〈構成要素に由来しない性質を持つ物質が形成されるような凝着(cohésion)の原理〉は何かという問題である。『概念の工房』では説明されていないので一点補足しておくならば、『化学教程』第1編第3章のひとつの解釈は、透明性の原理説、ライプニッツの運動説やニュートンの引力説等との差異化を通じて、ルソーは物質が形成される特定のプロセスを、この「凝着の原理」という概念の下で考察しようとしていた、ということである[13]

だが、上に引用した第9段落では、厳密には、「凝集」に対して「構成物」ないし「混合物」が対比されているわけではない。ベルナルディもこの点を意識していたようで、『概念の工房』は、同段落に対する注解というよりもむしろ三概念の区別と一般的な説明に留まっている。

「凝集」と「混合物」の対比が設定されるのは『概念の工房』の58頁からはじまる化学史の概説においてであるが、そこでの説明が問題の第9段落の注釈として利用されることもなく、結果として『ジュネーヴ草稿』の中で「凝集」と「混合」ないし「構成物」の対比が、「烏合」と「結合」の対比[14]へと移行したというベルナルディの説はテクスト上の根拠を欠いていると言わざるを得ない。

とはいえ、このようなテクスト上の問題点があるとしても、『概念の工房』第1部(特にルソーにおける化学概念の位置づけが確認される第1章)はやはり精査すべきものである。その重要性は、ルソーが化学を思考の「範型」としたという視点を設定したことにより、化学的構成物ならざる政治的構成物(composé politique)としての国家を成立させる構成員間の結びつき(ベルナルディの表現では「政治的一体性」)はどのようなものであるか、という問いを明確に立てた点にある。そしてこの「政治的一体性」は構成員のある種の性質変化--しばしばこの変化は市民性の獲得として説明される--をともなうものであるから、この変化をどのように説明するか、が『概念の工房』におけるルソー政治哲学理解の要となる。

c. 社会契約における個人の性質変化

ここで直ちに思い出されるのが例の「立法者」である(『ジュネーヴ草稿』第2編第2章)。「人間の本性を変える」力を持つと想定される神懸かりな「立法者」は、これを使えば『ジュネーヴ草稿』の中に見られるルソー政治哲学の様々なアポリアを一挙に解消できるような論展開用の〈装置〉であり、言うなれば〈賢者の石〉である。当然、『概念の工房』の中で、ベルナルディも構成物を作り出す化学者のイメージを通じて「立法者」とその「技術」について語ることになるが(第1部補遺[15])、そこでの説明は化学と政治学のアナロジーの域を出ていない。再び「立法者」の具体的な役割が語られるのは、同書の474頁から475頁にかけてである。そこではただ「立法者は市民たちの心の中に一般意志を呼び覚ます」と断定されるのみであり、「立法者」がアポリアを解消するために導入される機械仕掛けの神であるという印象をむしろ強めてしまっているようにさえ見える。

「立法者」とは別に、「政治的一体性」が成立するときその構成要素はどのような性質を獲得するのかという問題に対してベルナルディはひとつの仮説を提示しており、むしろこちらの仮説こそが『概念の工房』において注目すべき論点と見なすことができる。それは、個人が「一般化(généralisation)」という能力を獲得する、という仮説である。

ところで、ベルナルディは、ルソーにおける「政治的一体性」が「認識論的(épistémologique)」そして「政治学的」という二重性を持つと57頁で指摘したあと、この点に関する説明を展開することはしていない。つまりこの時点では、例えば「認識論的」という表現でベルナルディが何を言わんとしているのか明瞭ではない[16]。「政治的一体性」の二重性が再び取り上げられ、「認識論的」と「政治学的」という二表現の意味がおぼろげながら明らかになるのは、『概念の工房』の最後から二番目の章(第4編第11章)においてである(特に477頁以降)。「『一般化の技術』:操作としての一般化」という章タイトルが示す通り、この章では、個人が政治体という「構成物」の要素となるための性質変化を「一般化」というモチーフの下で考察している。「政治的一体性」に「認識的」側面があると指摘されるのは、個人が自分自身を「一般」という観念のもとで捉え、一般意志を持つ者として自分自身を「より大きな全体の一部」[17]と認識するプロセスが念頭に置かれているからである。したがって、「政治的一体性」の「認識的」側面とは、自分自身の「一般化」という行為に含まれる「認識的」側面でもある[18]

もうひとつの「政治学的」側面とは、個人が行う「一般化」が、その人自身、家族、国家、国家間(すなわち国際)へと進み、やがて人類のレベルにまで拡大することを意味している[19]。ベルナルディはこのような拡大説が『ジュネーヴ草稿』第2章でルソー本人によって批判されるコスモポリタニズムへと至らないように、〈国家への帰属の情動〉というモチーフを導入する[20]。このモチーフはのちに「一体化の情動(affects de cohésion)」としてテーマ化されることになるが、『概念の工房』の時点では、まだひとつのテーマとして確立されていない。

ベルナルディは、〈国家への帰属の情動〉がどのようなものであるかを掘り下げて考察することはせず、むしろこれを補強する制度に話題を移す。すなわち、「市民宗教」、「公教育」、そして彼が特に注目する「監察官(censure)」である。ちなみに、『社会契約論』第4編第7章で説明される「監察官」とは「世論(opinion publique)」を管理することによって国家の「習俗(mœurs)」を形成・管理する制度であり、ベルナルディは2012年に発表した論文[21]で「監察官」に関する自説を掘り下げている。

以上、概観してきたように、『概念の工房』は、第1部で提起された「政治的一体性」を説明することが論展開の軸のひとつとなっている。そのために、ベルナルディは「政治的」および「認識的」という二つの視点を第1部の段階で設定し、この見地から第4部で「政治的一体性」の問題を「一般化」という概念を使って考察する。「一般化」だけではルソーの主張と齟齬を来す部分が生じるので、「一体化の情動」と後年呼ばれることになる「情動」のモチーフを最終的に導入し、この段階で『概念の工房』の論展開は実質的には終了する。

だが、「一般化」や「情動」といった論点が同書の中で十分に検討されているとは言い難い。例えば、「一般化」に関して言えば、「意志」を「一般化する」とはどのようなことなのか、またこの一般化された意志が法的規範として拘束力を持つことによってベルナルディの言う「義務の感情(sentiment d’obligation)」をいかに生じさせるのか[22]、といった問題に対する説明はほとんど示されていないのである。

ベルナルディによれば、「政治的一体性」について「義務の感情」を視座として考察するというルソー方法は、『ジュネーヴ草稿』第1編第2章における『百科全書』項目「自然法」に対する批判を通じて形成された。そしてこのような批判の文脈の中で「義務」と実定法の法源を形成する「意志」の「一般化」の関係が重要になるのである。しかし、両者の関係を説き起こすにあたって[23]、ベルナルディはこの問題が確立する以前に書かれた『人間不平等起源論』第1部における言語起源論を援用するのである[24]

確かに『人間不平等起源論』の言語論は、「一般観念」がどのように人間によって獲得されるかを人類史的見地から説明している。だがこの説明は記述レベルの言語活動を対象とするものであり、これをそのまま「義務」という様相レベルの問題に適用するには無理がある。人類史の視点から「一般観念」の獲得が説明されている以上、『人間不平等起源論』の同箇所を援用(あるいは参照)するのは当然であるのかもしれない。しかし、項目「自然法」に対する批判の要は、ベルナルディ本人も指摘するように、個人の自由意志を内的に拘束する「義務の感情」の成立をいかに説明するか、という点にある[25]。この義務の問題に『人間不平等起源論』における「一般観念」の説明をそのまま適用することはできない。そしてこの問題が『ジュネーヴ草稿』第2章後半ではじめて主題化されるのであれば、研究対象としてはこの章の成立とほぼ同時期に書かれたテクストを中心にすべきであり、それ以外のテクストはあくまで補足的参考資料の役割にとどめるべきであろう。

d. 一般意志の「制作」

「義務」と「一般化」の関係をめぐる問題は、『概念の工房』ではその最終部で扱われていることからも分かるように、同書の言わば終点である。そこに至る途上が、一般意志概念をルソーがどのように構想(あるいは「制作」)したのかという問題を考察することであり、こちらの方にベルナルディの関心の比重が置かれている。このような「概念発明」の視点から、ベルナルディは『エコノミー・ポリティック論(政治経済論)』第1部とその草稿(1754年末頃執筆終了)を『人間不平等起源論』と並ぶ主要研究対象に据えるのである。

事実、「一般意志」という表現は直接的にはディドロの項目「自然法」から受け継いだものであり[26]、その第一の継承過程は同じ『百科全書』第5巻に書かれた項目「エコノミー」(のちの『エコノミー・ポリティック論』)の断片的草稿にすでに見られる[27]。そこには「法」の言い換えとして使われる「人民の意志(volonté publique)」という表現[28]が「集合ないし一般意志(volonté collective ou générale)」に代わり、この表現が抹消されて「一般意志(volonté générale)」に統一され[29]、最終的に「一般意志(volonté générale)」という表現が迷いなく使われるに至る表現上の推移が見られる。ちなみに、ベルナルディは、『概念の工房』第1部第2章そして特に第3部第7章で項目「エコノミー」の草稿を分析しており、同書出版以前においては、ヴラン書店から出版した『エコノミー・ポリティック論』(注解論文付き校訂本)の中で、共同研究のかたちでこの草稿を扱っている(なおベルナルディが執筆した注解論文「一般意志の制作」の一部改変版は幸運なことに邦訳されている[30])。

ところで、『エコノミー・ポリティック論』の段階では、いわゆる「自然人」が社会契約を通じて「市民」へと変化し、主権者の一部となることによって成立する「政治的一体性」は問題として明確に設定されてはいない。この段階で説かれるのは国家運営(économie politique)にとって一般意志と特殊意志の「一致(conformité)」が重要である、ということである。それもそのはずで、『エコノミー・ポリティック論』の主題はいかに政治体を管理するかという行政の問題であり、これに対して「政治的一体性」の本質に関する問いは国家設立に関わる問題、言い換えるなら「政法(droit politique)」の制定に関わる問題であるからである[31]。そして、後者の問いを扱ったのが『ジュネーヴ草稿』であり『社会契約論』なのである。

『エコノミー・ポリティック論』と『ジュネーヴ草稿』のあいだで、論点が行政から政法へと移行したということを、手稿分析を通じて具体的かつクロノロジカルに示した点にベルナルディの業績がある。この論点の移行は『百科全書』の項目「自然法」をルソーが異なる時期に異なる仕方で読んだことによって起こった。そして『ジュネーヴ草稿』(ひいては『社会契約論』)独自の論点が確立される途上を観察することができるのが、本稿冒頭に引用した『ジュネーヴ草稿』第2章の第9段落なのである。

ベルナルディは同段落で使われている化学概念に着目し、ルソーはこの概念を通じて「政治的一体性」という問題をそれとして設定することができた、と説明している。ベルナルディの提案するように、マニュスクリプトというのものの構造を「地層(strate)」と見なすならば、第9段落は『ジュネーヴ草稿』を構成する断片テクスト群のうちの最古層のものに属すると考えられる。

3. 「制作」から「地層学」へ

草稿の段階ですでに七本の斜線によって抹消されている『ジュネーヴ草稿』第2章第9段落は、化学用語が使われていることの他にも注目すべき点がいくつかある。『概念の工房』の検討から脇道にそれてしまうので、本稿では問題点を指摘するにとどめる。

まず、そもそもルソーはなぜこの段落を草稿の段階で抹消したのか。このとき、なぜ彼は前第8段落の場合と同じように斜線一本ではなく、七本の斜線で抹消したのか。最後に、なぜルソーは「もし仮に一般社会なるものが哲学者の体系の外に実在するとすれば」という批判対象である「一般社会」概念に基づいた仮説を展開したのか。以上の三点を考察することは、① 『ジュネーヴ草稿』が既存の断片的メモのサンテーズ(=堆積層)であること(断片の一部はおそらく1754年にまで遡りうる)、② このサンテーズの論理が果たして飛躍を起こさずに展開しているのかということ、そして③ 『ジュネーヴ草稿』が最終的には全面的に改訂され『社会契約論』になるとはどういうことなのか、という三点を考察することにつながる。ベルナルディが『概念の工房』第1部で研究対象とした第9段落はこのような豊かさを持っており、彼の考察を発展させるという研究課題が設定できる。そのためにはルソーの手稿を分析しなければならない。手稿は概念がまさに「制作される」現場であり、その意味で概念の「工房(fabrique)」なのである。

ベルナルディが『概念の工房』の出版後、その重要な研究方法のひとつであった手稿分析を拡大し、彼の研究の主軸に据えたことは、当然のことであったように思われる。しかしながら、ベルナルディの論を客観的描写ないし記述として捉えることには問題がある。これは彼の執筆スタイルに起因するところが大きい。話題を『社会契約論』の形成プロセスに限って、ベルナルディのテクストを読む上で留意すべき点を明確にし、本稿を終えることにする。

a. 方法論上の問題――「契機(moment)」概念と歴史的事実からの乖離

まずベルナルディがルソーの執筆作業(特に改訂作業)を、断絶のない〈一貫した思索の発展的プロセス〉と捉えている点である。これは『概念の工房』以来ベルナルディの立論の前提をなす観点である。

この観点との関わりで注目すべきは、彼のテクストの中に時おり顔を出す「契機(moment)」という語である[32]。ベルナルディはこの語をルソーの個人的思想史の特権的段階(phase)、言い換えるならばルソーの特定の思索が起動し、しかもその後の思索の方向性を規定するような段階を表現するものとして使っている。その顕著な用例が『ジュネーヴ草稿』校訂本の序文の中で使われている「理論的契機(moment théorique)」ないし「政治思想における契機(moment de la pensée politique)」という表現である。この場合、「契機(moment)」とは『社会契約論』へと結晶するルソーの「ダイナミックな」[33]政治学的思索プロセスの〈ある種の〉起点のことで、より具体的には『ジュネーヴ草稿』を大幅に改定することをルソーに決意させることに至る起点である(つまり「契機」とはルソーがこの改訂を決意した「時点」を意味するのではない。それゆえにベルナルディは「『ジュネーヴ草稿』の改訂のmoment」とは書かず、「『ジュネーヴ草稿』が証言しているmoment」という多義的解釈を許す書き方をしている)。この「理論的契機」に関するベルナルディの説明は慎重かつ微妙であり、厳密にはクロノロジックな「時点」を意味するだけのものでもないので、先ほど〈ある種の〉という限定を付した。

同序文では、この「理論的契機」を特徴付ける「三つのベクトル(trois contraintes)」が示されており、三者とも「1755年に出版されたテクスト」[34]と結びついている(「出版された」ということは、そのテクストの成立は出版以前、具体的には1754年以前に成立しているということである)。① 『百科全書』の項目「自然法」(ディドロ執筆)に対する批判を通じて、自然法という考え方それ自体を批判すること。② 政治学上の原理と『人間不平等起源論』で示したテーゼとの一貫性を示すこと。③ 『百科全書』の項目「エコノミー」で確立した、主権と一般意志概念を主軸とする「概念枠組み」の中にルソーの「思索のより古い地層(strates)を統合すること(intégrer)」。この最後のベクトルは、おそらく『ジュネーヴ草稿』を書くにあたってルソーが用いた断片的テクスト(いわゆる『政治学的断片』の一部等)に表れている思索の一部を項目「エコノミー」の執筆で確立されたテーマ系へと還元してゆくこと、ということなのであろう。

以上から推測できるのは、ベルナルディが『人間不平等起源論』と項目「エコノミー」をルソーの一貫した思索の展開方向を規定する原理的な著作と見なしていることであり、また「理論的契機」は、ルソーの様々な政治学的テクスト(『ジュネーヴ草稿』を含む)を、両著作が形成するテーマ系へと収束させるためのキー概念であるということである。つまり、ドラテの表現を用いるならばルソーの「政治学的教説の中核」は「すでに1754年」には出来上がっていた[35]、というのがベルナルディの考えであろう。

『ジュネーヴ草稿』校訂本序文の中で注目すべきは、「理論的契機」という論展開用の装置とでも評すべき概念が、『ジュネーヴ草稿』の執筆年代の推定作業に必要な具体的な事実の検討の直後に登場する点である。ベルナルディは具体的な事実から導き出される純粋にクロノロジカルな執筆年代を示すのではなく、「理論的契機」についての説明を一旦介在させたあと、この「政治思想における契機(moment de la pensée politique)」の「推定年代」(「1756年近く」、具体的にはルソーがエルミタージュに移った直後)を示すという手順を踏んでいるのである[36](実際のところ、フラマリオン版『社会契約論』においてもヴラン書店版『ジュネーヴ草稿』においても、同草稿の具体的な執筆年代は明記されていない)。ベルナルディが2013年に発表した論文「ルソーを読みルソーを校訂すること」の中で示唆したように、『エミール』の第一草稿(通称『ファーヴル草稿』)にある『社会契約論』(と思しきもの)の要約[37]を考慮に入れるならば、1756年という数字はありうるものである。しかしヴラン書店版『ジュネーヴ草稿』の序文の中で提示され検討されている事実だけでは、同草稿の推定執筆年代を1756年に近づけることはできない[38]

b. テクストの豊かさと解釈の多様性

『ジュネーヴ草稿』校訂本の序文で使われる「契機」という多義的概念の装置としての役割に本稿が拘ったのは、1754年頃には確立していたと言われるルソーの「政治学的教説の中核」を基準にしてルソーの様々なテクストが解釈され、テクスト解釈の可能性が狭められてしまうおそれがあるからである(これは同時に、断片的テクストの執筆年代を推定する際にも、年代を1754年に近づけようとするバイアスともなりうる)。

問題は、「政治的一体性」の問題を『エコノミー・ポリティック論』と『人間不平等起源論』を使って検討することだけではない。例えば、『社会契約論』の形成史研究にとって重要な「1761年12月23日付けルスタン宛書簡」で使われている「社会契約に関する論文(un traitté du Contract social)」という語[39]の解釈ひとつを取ってみても、件の「契機」を基準にするか否かで解釈の可能性の幅が大分変わってくる。

より大きな問題としては、『ジュネーヴ草稿』第1編第2章「人類の一般社会について」の解釈の可能性の幅である。上記の通り、この清書原稿の執筆開始時期を特定するには決定的根拠が欠けている。だが、この執筆時期を1757年のディドロ等論敵たちとの論争[40]の前に設定するか、それともその後に設定するかによって、第2章の解釈の幅が大きく変わってくる。事実、ベルナルディは同章を自然法に基づく政治思想を論駁することを目的としたテクストとしてのみ解釈しており、他の可能性については言及していない。

4. 結論

本稿は、ベルナルディの主著『概念の工房』の特に「政治的統一性」という論点を主軸にして、初期の業績から2013年の論文「ルソーを読みルソーを校訂すること」に至までの彼の研究内容とその方法を検討してきた。

図式的にまとめるならば、ベルナルディの研究には二つの側面があると言える。

まずは、歴史主義と呼びうる側面である。ベルナルディがこれまで提起してきた論点や解釈の多くは疑いもなく今後のルソー政治哲学研究が参照すべきものであるが、特にルソーの政治的著作に関する様々な手稿を精査して得られた歴史的事実よびその他の文献学的情報に関しては、各研究者はこれを必ず検討し、その上で本人の推断を示すことが求められるだろう。

他方で、文献学的調査によって歴史的事実を押さえつつも、「契機(moment)」という概念の使い方が顕著に示すように、ベルナルディの著作にはルソーの執筆作業の歴史的条件を隠してしまう論展開が見られる。これは非歴史的思弁とでも評すべきベルナルディの研究のもうひとつの側面である。

彼の著作ではこれら二つの側面はしばしば渾然一体となっている。よって、読者は両側面に意識的になり、それを選り分けながら彼の論展開を追う必要がある。

この選り分け作業を困難にしているのが、ベルナルディ独特の執筆スタイルである。彼は、問題を提起し、その問題を解決するための様々な参照先を十分に提示した後、大分後になってから解決案を示すという独特の執筆スタイルを持っている(この点は、「認識論的」および「政治学的」という「政治的一体性」の二重性について検討した際に確認した)。この問題提起と解決案の提示の隔たりが彼の論理を追いにくくしていると考えられる。

したがって、ベルナルディの著作全体の論理をひと息に把握しようとすることは避けるべきであろう。まずは、ひとつのテーマ(例えば「政治的一体性」の問題)に読み筋をしぼるのが得策である。そして、テーマに関わる部分を抜き出し、そこからこのテーマに関するベルナルディの論理を再構築することが彼の主張を精査する上で有効であろう。

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[1] Rousseau, Jean-Jacques, Discours sur l’économie politique, édition, introduction et commentaire sous la direction de Bruno Bernardi, J. Vrin, 2002 ; Principes du droit de la guerre, Écrits sur la paix perpétuelle, édition nouvelle et présentation de l’établissement des textes par Bruno Bernardi et Gabriella Silvestrini, J. Vrin, 2008 ; Du Contratct social ou Essai sur la forme de la république (Manuscrit de Genève), sous la direction de Blaise Bachofen, Bruno Bernardi et Gilles Olivo, J. Vrin, 2012. 以下、MsG (éd. GR)と略す。なお『戦争法原理』は上記の校訂本の出版以前まで、ヌーシャテル大学図書館およびジュネーヴ大学図書館に保管された〈断片的テクスト〉として扱われてきた。ベルナルディとシルヴェストリーニは、これらの断片はもとはひとつの草稿であり、後年になってから分割されたのではないか、という仮説を同校訂本の中で提示し、この仮説に基づいて分割前の草稿を「復元」した。ベルナルディらの仮説および復元プロセスの概要は幸運なことに日本語で知ることができる(「第4章『戦争法の諸原理』と政治体の二重の本性」(古城毅・川出良枝訳)、『ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学:一般意志・人民主権・共和国』、勁草書房、2014年、109-130頁)。「復元」された『戦争法原理』は2016年に坂倉裕治による邦訳が刊行された(『人間不平等起源論付「戦争法原理」』(坂倉裕治訳)、東京、講談社学術文庫、191-217頁)。以上の二邦訳はそれぞれ序文と本文の関係にあり相互補完的である。
[2] Bernardi, Bruno, La fabrique des concepts : recherche sur l’invention conceptuelle chez Rousseau, Honoré Champion, 2006. 同書の改訂版が同社から2014年に出版されている。本稿では2006年版を扱う。
[3] « Introduction » dans MsG (éd. GR), p. 14.
[4] Bernardi, « Lire et éditer Rousseau : genèse des textes et invention conceptuelle » dans Annales de la Société Jean-Jacques Rousseau, no 51, 2013, pp. 299-331.
[5] 本稿は「制作」から「地層学」の確立へと至るベルナルディの研究方法の軌跡をたどる方法を採っており、その意味で『概念の工房』の書評ではない。同書全体に関する書評は、例えばセリーヌ・スペクトールによるものがあり、大変参考になる(SPECTOR, Céline, « Note de lecture » dans Philosophie, no 93, 2007/02, pp. 94-96)。また、ルソーによる主権論と一般意志の構想に関わる問題を対象とする同書第2部と第3部を本稿は扱うことができないが、これらについては佐藤淳二が次の論評の中で詳しく検討している。佐藤淳二「国家・政治共同体・〈契約〉―ルソー論のための覚え書―」、『Septentrional:日本フランス語フランス文学会北海道支部論集』、第2号、2012年、57-73頁。同氏による書評も参照のこと(「B・ベルナルディ『コンセプトの構築(ファブリック)』」、『日本18世紀学会年報』、第25号(2010)、83-4頁)。
[6] 書名に使われている名詞fabriqueは翻訳の難しい表現である。というのも、ベルナルディはこの書名の妥当性について実質二回しか言及しておらず(『概念の工房』、9頁、314頁)、その箇所でも名詞fabriqueについての説明がなされるわけではないからである。なぜ副題に使われているinventionではなく、fabriqueという〈場所〉に関わる表現をわざわざ用いたのか。この疑問に答える上で参考になるのがベルナルディの「〔『社会契約論』第1編〕第6章と第7章は、概念が形成される真の実験室と見なせる」(24頁)という言葉である。周知の通り、名詞fabriqueは、「製造所」や「工場」という意味を持つが、ベルナルディは、彼の重視するルソーの化学思想も念頭に置いて、「実験室」のイメージもfabriqueという語に込めていると考えられる。本稿では、無数の機械が稼働する「工場」ではなく、ひとりの細工職人ないし化学者が仕事をする場のイメージを重視し、また動詞fabriquer(制作する)も念頭に置きつつ、fabriqueを「工房」と訳した。またinventionという表現についても、一点ほど確認しておこう。ベルナルディはinventionを説明する文脈で度々mos inveniendiあるいはars inveniendi(いずれも「発想の技」と訳せる)という古典修辞学の用語を引いている。「発想(inventio)」とは、説得推論を構成する要素(例えば命題)を獲得する技術のことである。この点を鑑みるに、inventionとは概念を「制作すること」のみならず、これによって未知の論点を「見つけ出すこと」でもあると考えられる。「見出された」論点は、これを起点として説得的な論が展開される機軸となる。以上のような「概念発明〔発見〕」の顕著な例が、化学概念をもとに制作された概念「烏合(agrégation)」であろう(「烏合」については以下で詳しく検討する)。ベルナルディによれば、この概念の「発明〔発見〕」によって、「政治的統一性」という政治学上の論点をルソーは明確化することができた。
[7] Bernardi, La fabrique des concepts, p. 21.
[8] Op. cit., p. 312.
[9] Op. cit., p. 59.
[10] Du contrat social, I, ch. 5, OC III, p. 359. 本稿では原則としてプレイヤード叢書版ルソー全集を用い、OCと略記する(Œuvres complètes, 5 vols, publiées sous la direction de Bernard Gagnebin et Marcel Raymond, Bibliothèque de la Pléiade, 1959-1995)。引用に際しては、作品名、編章数、OC巻数、頁数の順に表記する。
[11] ルソーの化学知識の概要、およびその知識が政治学的著作の執筆の際に「範型」としてどのように機能しているかについては、ベルナルディが簡潔にまとめている(« Pourquoi la chimie ? Le cas de Rousseau » dans Dix-Huitième siècle, no 42, 2010/01, pp. 433-443)。なおこの概説は淵田仁によって邦訳されており、管見ではこれはベルナルディの研究論文の本邦初訳である。「なぜ化学なのか?ルソーの場合」(淵田仁訳)、『現代思想:特集ルソー「起源」への問い』、10月号、2012年10月、青土社、207-215頁。
[12] Du contrat social (1e version), I, ch. 2, OC III, p. 284 ; Ms. fr. 225, fol. 5 recto(以下、Ms 225と略す). なお以下では、行間から挿入されている語句を〈 〉で示す。また抹消されている語句も必要である場合は抹消線とともに明記する。
[13] ルソーはこの「凝着の原理」それ自体が何であるかを自然学的に探求する道は取らない。むしろ彼は、性質変化を伴う一体化を再現できるような化学的「操作(opération)」の探求に向かうのである。その点で、フランソワ・ペパンも指摘するように、ルソーの化学的思索はブールハーフェ的「道具主義(instrumentalisme)」の色彩を帯びるようになる。事実、『化学教程』第2編の序文に相当する第1章で、ルソーは自然をひとつの実験室と見なし、それを人工の実験室として再現することが提案され、第2章以降、人為が再現すべき自然の「操作」(火、空気等)が説明される。その上で人工の実験室で行われる人為的「操作」を一つひとつ説明する第4編で同著作は終わるのである。Pépin, François, « L’épistémologie empiriste et la critique du matérialisme dans les Institutions chimiques » dans Philosophie de Rousseau, sous la direction de Blaise Bachofen, Bruno Bernardi et al., Classiques Garnier, 2014, p. 133.
[14] ちなみに、ルソーの著作の中で「烏合」と「結合」の対比が提示される最初期の例は『ジュネーヴ草稿』第1編第5章「社会的な紐帯の誤った考え方」の第1段落においてである(Du contrat social (1e version), I, ch. 5 OC III, p. 297 ; Ms 225, fol. 24 recto)。
[15] Bernardi, La fabrique des concepts, pp. 163-172.
[16] ちなみにベルナルディは「認識論的」と「認識的(cognitif)」をほとんど同義に用いているので、以下では後者に統一する。 Op. cit., p. 57, p. 71, p. 482 passim. 特にこの482頁は「認識論的(épistémologique)」と「認識的(cognitif)」が併記されているという点で重要である。
[17] Du contrat social (1e version), II, ch. 2, OC III, p. 313.
[18] Bernardi, op. cit., p. 482, p. 484.
[19] Op. cit., p. 469.
[20] 世界を国家を超えるひとつの組織と見なし、その市民としてそこに帰属しているという「情動」、言い換えるならば世界市民であるという「情動」はルソー政治学の枠内では成立しないということを意味する。
[21] Bernardi, “Rousseau et la généalogie du concept d’opinion publique” in Jean-Jacques Rousseau en 2012: puisqu’enfin mon nom doit vivre, SVEC, no 2012: 01, 2012, pp. 95-127. なおこの論文の大部分は邦訳で読むことができる。「第3章ルソーとともに〈世論〉を再考する」(三浦信孝訳)、『ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学:一般意志・人民主権・共和国』、勁草書房、2014年、79-105頁。
[22] 一般化された意志がどのように法的規範性を持つのかという問題は、「義務」概念を哲学史の観点から検討したベルナルディ第二の主著『義務の原理(Le principe d’obligation)』にも具体的な説明はない。 Bernardi, Le principe d’obligation, J. Vrin, 2007, notamment, pp. 299-305.
[23] Bernardi, La fabrique des concepts, p. 482.
[24] Op. cit., pp. 484-504.
[25] Op. cit., p. 460.
[26] ベルナルディによれば「人類の一般社会」から市民 社会が生まれるという論理に関しては、ルソーはボシュエの『聖書の言葉から引いた政治学』第1巻第2節以降の論も念頭に置いている。ベルナルディのこの指摘は、ルソーの自然法批判の思想史的射程を広げるものであり、大変重要である。とはいえ、このボシュエとの関係はすでにドラテが『ルソーとその時代の政治学』の中で指摘している。Derathé, Robert, Jean-Jacques Rousseau et la science politique de son temps, J. Vrin, 1950, p. 144, note (4) 〔ドラテ『ルソーとその時代の政治学』、西嶋法友訳、九州大学出版会、1986年、415頁〕.
[27] R 16, fol. 75 recto-73 verso. 手稿R 16はヌーシャテル大学図書館に所蔵されている全86葉からなる帳面であり、各葉紙の両面にはルソーとは異なる人の手で1から86までの数字が書かれている。これがルソーとは異なる手であるという点はベルナルディも『エコノミー・ポリティック論』校訂本序文(17頁)で指摘している。彼による説明はないものの、おそらくこの判断の根拠は二つある。第一に、3分の2が破れてしまっている葉紙にも、その破れを避けるようにして番号が書かれていること、第二に、数字の書き方がルソーとそれとは異なる(特に2、3、5そして6の書き方がまったく異なる)。この葉紙番号に従うならば、『エコノミー・ポリティック論』の草稿は帳面の一番後ろの葉紙86裏面から書き始められ、葉紙73表面まで断続的に続くテクスト群である(cf. Bernardi, op. cit., p. 323)。
[28] R 16, fol. 86 verso-75 recto.
[29] R 16, fol. 74 verso.
[30] ベルナルディ「第2章『エコノミーポリティック論』における〈一般意志〉概念の形成」(永見文雄訳)、『ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学:一般意志・人民主権・共和国』、49-73頁。
[31] Bernardi, op. cit., p. 320. さらに前掲論文に対する訳者永見文雄による解題も参照(特に76頁以下)。
[32] なお「契機(moment)」がベルナルディ固有の用語としてはじめて定義されるのは『概念の工房』第3部第6章末(316頁)である。
[33] Bernardi, « Introduction » dans Contrat social, GF Flammarion, 2001, p. 23. « Lire et éditer Rousseau : genèse des textes et invention conceptuelle » dans Annales de la Société Jean-Jacques Rousseau, no 51, 2013, p. 303, p. 318.
[34] MsG (éd. GR), p. 17(強調は引用者による).
[35] Derathé, op. cit., p. 159 〔ドラテ、前掲書、421-2頁〕.
[36] MsG (éd. GR), p. 17.
[37] BGE, Ms. R 90, fol. 246 verso-251 recto (BGE : Bibliothèque publique et universitaire de Genève).
[38] 厳密には、『ファーヴル草稿』の当該箇所および同草稿の年代推定を示したジマックの説だけでも、『ジュネーヴ草稿』の執筆年代推定には穴ができる。この問題を本稿で扱うことはできないが、一点のみ指摘しておくならば、ジマックの説はヌーシャテル大学図書館に保管されているルソー直筆ノートR 18(fol. 29 recto以下)の断片的テクストの執筆年代を推定してはじめてその妥当性を示すことができるのである。 Jimack, Peter, La Genèse et la rédaction de l’Émile de J.-J. Rousseau: étude sur l’histoire de l’ouvrage jusqu’à sa parution, SVEC, no 13, 1960, p. 39 et seq. 『ジュネーヴ草稿』の執筆年代の推定方法については、拙論を参照。Iida, Yoshiho, « Dater le Manuscrit de Genève de Rousseau : état des lieux et réflexions pour une nouvelle chronologie », Recueil d’études sur l’Encyclopédie et les Lumières, no 3, 2015, pp. 1-17. この論文では、『告白』第10巻で語られるルソーの執筆計画(Confessions, X, OC I, p. 516)、出版者マルク・ミシェル・レイからの原稿料の支払記録、およびルソー等の書簡にある情報等々を用いて、『ジュネーヴ草稿』の執筆開始年代を1761年春と推定した。しかし、拙論においては『ファーヴル草稿』の検討がなされていないので、この推定年代も再検討の余地が大いにある。
[39] Rousseau au ministre Antoine-Jacques Roustan, à Montmorency, le 23 décembre 1761, Correspondance complète de Rousseau, édition critique établie et annotée par Ralph Alexander Leigh, t. IX, 1603, Institut et Musée Voltaire, 1969, p. 345. 『ルスタン宛書簡』にある「社会契約に関する論文」という表現については、本稿執筆者とベルナルディとのあいだで解釈の相違があり、いまだ合意を得ていない。本稿執筆者の解釈に対するベルナルディの問題指摘およびこの指摘に対する本稿執筆者の反論に関しては次の拙論を参照。Iida, Yoshiho, La « Religion civile » chez Rousseau comme art de faire penser, Thèse de Doctorat en Littératures française et francophone, Université Grenoble Alpes, 2015, pp. 322-329.
[40] この有名な論争については、次の論文を参照。内田英一「ルソーにおける1757年―ディドロの戯曲『私生児』の台詞をめぐって」、『大正大学研究紀要』、第88号、2003年、254-244頁。Perrin, Jean-François, « Penser aux limites : le débat sur l’amitié entre Rousseau et Diderot dans la crise de 1757-1758 » dans Diderot – Rousseau : Un entretien à distance, Paris, Éditions Desjonquères, 2006, pp. 51-66 ; “Un questionnement radical de la civilité des Lumières: la question de l’amitié dans la correspondence de Rousseau durant la crise des années 1757-1758” in Jean-Jacques Rousseau en 2012: puisqu’enfin mon nom doit vivre, SVEC, no 2012: 01, 2012, pp. 9-28 ; Iida, Yoshiho, « Débat créateur entre les frères ennemis : la genèse de la sociabilité rousseauiste en 1757 », dans Rousseau et Diderot : traduire, interpréter, connaître, Varsovie, Wydawnictwa Uniwersytetu Warszawskiego, 2016, pp. 41-55.


2016/10/08

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