タハール・ベン=ジェルーン『砂の子ども』、『聖なる夜』における「自己への回帰」とエクリチュール[1]
小牧眞子(立教大学文学部4年)
序
タハール・ベン=ジェルーン(Tahar Ben Jelloun, 1944-)の数ある著作の中で、世界中で最も広く読まれてきたテクストは、おそらく1987年にゴンクール賞を受賞した『聖なる夜』(La nuit sacrée, 1987[2])であろう。そうであるならば、当然のごとく、その姉妹編として名高い『砂の子ども』(L’enfant de sable, 1985[3])もまた、併読されているはずである。
ベン=ジェルーンの多様な作品の中でも、とりわけこの二作は、プロットにおける「エクリチュール」の重要性が極めて高いと考えられる。女として生まれ、男として育てられる主人公は、強制されたセクシュアリティーを生きる中で、失われた「自己」の再構築を試みる。その回帰の旅において、執筆行為としてのエクリチュールが主人公の「解放」に大きく貢献するのである。したがって、本稿では二作における「エクリチュール」とその効力について検討し、主人公を取り巻くイマージュ[4]の変遷を辿るという、物語の形式分析に重点を置いた議論を展開してみたい。
これまでベン=ジェルーンの作品は、彼の生い立ちや境遇、政治的思想に関連付けられ、それゆえ、作家が作品に込めたとされる「寓意」への接近が、その解釈において強調されてきたように思われる[5]。例えば、彼の作品は、しばしば「旧植民地国モロッコと旧支配国フランスという政治的図式[6]」の中で読まれてきた。たしかに、フランコフォニー文学[7]に向き合ううえで、当該国・地域がフランス語圏となった経緯や、現地の言語・文化とフランス語・フランス文化の関係性、作家の言語選択の問題[8]等、留意すべき点は無数にある。ベン=ジェルーンの生まれ育ったモロッコという国の持つ、非常に複雑な歴史的背景、ならびに地域性の把握[9]は、『砂の子ども』、『聖なる夜』の読解においても、さらなる理解を後押しするだろう。
また、彼の著作である『子どもたちと話す イスラームってなに?』(L’Islam, expliqué aux enfants, 2002[10])や『おとなは子どもにテロをどう伝えればよいのか』(Le terrorisme expliqué à nos enfants, 2016[11])においては、今日のイスラームについて、あるいはイスラームをめぐる幾多の言説について、子どもとの対話という形式で端的に語られている。彼がイスラーム、クルアーンについて独自の「思想」を持ち、その「思想」が変化していることは疑いようがない。ところで、これらの点についての研究は、日本では、中田考の『日亜対訳クルアーン 「付」訳解と正統十読誦注解[12]』や、松山洋平の『イスラーム思想を読みとく[13]』、また『イスラームとは何か その宗教・社会・文化[14]』に代表される小杉泰の一連の仕事を参照すればすぐさまわかるように、大きな転換点を迎えている。イスラームをストーリーの中心に据えた作品でなくとも、この宗教、あるいはそれに基づく文化および社会は、『気狂いモハ、賢人モハ』(Moha le fou, Moha le sage, 1978[15])や『あやまちの夜』(La nuit de l’erreur, 1997[16])、『出てゆく』(Partir, 2006[17])をはじめとする、ベン=ジェルーンがこれまでに執筆したほとんどの小説の中で、間違いなく物語の重要な背景をなしており、それは『砂の子ども』、『聖なる夜』においても同様である。つまり、ベン=ジェルーンは、絶えずイスラーム、クルアーンの諸問題を念頭に置きつつ、また思潮を意識しつつ、執筆行為を行ってきたということである。
以上で示したように、ベン=ジェルーンを取り巻く社会的・文化的・宗教的コンテクストの数々が、彼の描く小説世界に強い影響を与えていることは明白である。しかし、本稿ではあえて戦略的に、こうした当然扱うべきテーマの数々をひとまず括弧に入れ、『砂の子ども』と『聖なる夜』の自立性を際立たせてみたい。というのも、この二作の原書、要するにベン=ジェルーンが実際に綴った文章――彼の「エクリチュール」と真摯に向き合うと、それらが通俗的なメッセージやイデオロギーを超越しうる力を秘めていると確信せざるをえないためである。テクストに対していわば徹底的な誠実さを示したとき、そこにはどれほどの可能性が開かれるだろうか。
このような問いを出発点に、『砂の子ども』、および『聖なる夜』をフランス語で書かれたひとつの文学作品として独立させて読み、さらにそのテクストの細部を詳細に分析することによって、ベン=ジェルーンの作品に新たな視点を提示してみたい。よって、本稿ではモロッコ、ならびにイスラームをめぐる問題は直接扱わないこととし、それらに対する作家自身の見解もまた、考慮しない[18]。さらには、二作において少なくとも表面上、中心的な主題であると思われるジェンダー、およびセクシュアリティーをめぐる複雑な議論――何しろ、男性支配的な社会を生きる物語の主人公は、財産相続に対する不安から息子の誕生を渇望する父親に男として生きることを強要されるため、ジェンダー論的視点の重要性は明らかだ[19]――にも極力立ち入らない。二作が誘発する精神分析的解釈についても同様である。あくまで愚直なまでにディテールを読み解くことによって、テクストそのものの機能、価値を明らかにすることが目的となる。
第一章では、『砂の子ども』で用いられる、書かれたものとしてのエクリチュールを示す複数の表現をそれぞれの特徴ごとに整理したうえで、執筆行為が「過去の清算」に果たす役割をみていく。第二章では、『聖なる夜』におけるエクリチュール、とりわけ書くこととしてのエクリチュールに焦点を当てた分析を行う。第三章では、主人公が自身のアイデンティティを問う場面において繰り返し登場する「鏡」という特定のツールに着目し、主人公を取り巻く様々なイマージュの問題を検討することで、「エクリチュール」の複雑な諸相を第一章、第二章とは異なる観点から明らかにしてみたい。また、本文中で複数の意味で用いられる動詞jouerについても、とりわけ第三章で分析する。jouerと密接に関係する神の主題が、主人公の「自己への回帰」において極めて重要な役割を果たしていると考えられるからである。
以上で説明したように、先行研究においてなかば当然視されてきた分析方法をあえて介さずに考察を進めることで、主人公の「エクリチュール」にみる表現の機微を拾い上げる、もしくは、ベン=ジェルーンの紡いだ「エクリチュール」に可能な限り接近し、そのより正確な理解に挑むこととしたい。
第一章 『砂の子ども』におけるエクリチュール
モロッコの旧市街のとある広場にて、講釈師は集まった聴衆を前にひとつの奇妙な物語を語り出す。それはイスラームの強い影響下にあったフランス植民地時代のモロッコ[20]、はたや女性が男性に「劣る」存在であると定められていた社会において、父親の画策により、女の体を持ちながら男として生きる運命を背負うこととなる、われわれの主人公――アフマドなる人物の人生をめぐる物語である。アフマドは父親と母親のもとで、七人の姉に次いで生まれる。主人公の「誕生」は、やがて「沈黙した家に光をもたらす[21]」こととなる――。
『砂の子ども』は『千一夜物語[22]』を彷彿とさせる、その複雑な語りの構造で有名である。講釈師を中心とする複数の登場人物は、アフマドがかつて所有していたとみられる「手記」――彼の「エクリチュール」をもとに、各々が信じる物語を語っていく。例えば、あるとき、講釈師の鎮座する広場にファーティマ[23]の兄と名乗る人物が姿を見せる。彼は、講釈師が物語を語る際に参照する「日に焼けて黄ばんだ古いノート」は偽物で、アフマドの手記とは無関係であると主張するのだった[24]。実際のノートはアフマドの死の翌日に自らが盗み出したのだと豪語するが、その証拠として提示される新聞の日付は、彼の命日とは一致しないようである[25]。また、物語の半ばで錯乱し、失踪する講釈師に代わって語り手を引き受けるサーレムという黒人の青年は、記憶をもとに独自の経験に基づいた物語を語り出す。彼によれば、講釈師は姿を消した後、涸れた泉のほとりで遺体として見つかり、例の手記は彼の衣服とともに燃やされてしまったという[26]。サーレムの話に耳を傾けていたアンマームは、物語の真の結末を知るのは、「死体安置所の看護人から買い取った」講釈師の遺した手書きのノートを所有する自分であると宣言するのだった――[27]。
謎に包まれたアフマドの生涯は、食い違う語り手たちの主張によって、いよいよ神秘性を帯びる。意外なことに、アフマドの受難が主題となるにもかかわらず、作中には、本人が実際に広場に登場し、その半生を語る場面はないようだ。われわれには、この不可思議な物語の真偽を確かめることも、主人公の正体やその行方を推し量ることも許されていない。唯一明らかなことは、アフマドが遺したと信じられているこれらの手記が、どれも物語において不在である主人公の代替物の役割を果たしているということだ。われわれ読者――いや聴衆というべきか――に求められているのは、アフマドがかつて紡いだとされる言葉の数々に耳を澄ませることである。
第一節 エクリチュール(écriture(s))の効力
はじめに手記の存在を提示したのは講釈師である。手提げ鞄から大きなノートを取り出し、聴衆に披露すると、そこには言葉とイメージによって織りなされた「ある男」の秘密が眠っていると説明する[28]。
この秘密の書物は、短いが熾烈な人生(une vie brève et intense)を送った人間が、長い試練の夜(la nuit de la longue épreuve)を経て書いたものであり、大きくてごつごつした岩の下に隠され、呪いの天使によって守られていたものなのだ。友よ、このノートは、回し読みしたり、人に与えたりすることはできない。無垢な人は読むことができない。心構えができていない者が不用意に読めば、ここから発する光で目がくらんでしまう(éblouit et aveugle les yeux)。おれはこれを読んだ(je l’ai lu)。そして、そういう人のために、読み解いた(je l’ai déchiffré)のだ。皆さんは、おれの夜と肉体を通じて(traverser mes nuits et mon corps)でなければ、これに近づくことはできない。おれが、この書物なのだ(Je suis ce livre)。おれは秘密の書物と一体となり(Je suis devenu le livre du secret)、これを読むために、命を差し出した(j’ai payé de ma vie pour le lire)。何ヶ月も眠れぬ夜を過ごし、最後まできたとき、この書物が体内に宿ったことを感じた(j’ai senti le livre s’incarner en moi)。それが、おれの運命なのだ。[29]
le livre du secret――指示代名詞を伴ったり、代名詞に姿を変えたりして、繰り返し登場するその「秘密の書物」が、アフマドの人生が綴られた手記を指しているのは明らかだ。livreという語には、日記やノートを意味するjournalやcahierといった言葉以上に、神聖で厳かなイメージが伴う。それは、乗り越えられ(enjambé par)、書かれ(écrit par)、隠され(gardé sous)、守られ(protégé par)、「長い時間の旅」を経て、ようやくわれわれのもとに辿り着いた。短いが熾烈な人生(une vie brève et intense)と長い試練の夜(la nuit de la longue épreuve)は対比的であり、「その男」の苦悩を、より一層強調する。講釈師によれば、その書物は読み回すことも、人に与えることもできない。無垢な者は読むことすらできないし、準備の整っていない者は、書物の発する光に目がくらんでしまう。「秘密の書物」の特徴がこのように複数回にわたる否定語(原文ではne, ni, sans)の使用をもって説明されるということは、それが他に類をみない、特異な性質を備えていることを意味するだろう。講釈師は聴衆のため、命の危険を顧みず、この書物を読み(lire)、そして読み解く(déchiffrer)ことを選んだのだ。déchiffrer――それは、暗号(chiffre)を解除する(dé-)ことを意味する。まさにillisibleな書物をlisibleなものに変換する作業である。彼の「何ヶ月も眠れぬ夜を過ごした(après des mois d'insomnie)」という言葉は、読者、あるいは聴衆に、この書物が歩んだ「長い時間の旅」をさらに強く意識させる。また、はじめに現在形で語られ(Je suis ce livre)、後に複合過去形で言い直された文(Je suis devenu le livre du secret)は、講釈師の身に起きた「取引の儀」を際立たせる。彼は自ら払った(payé)犠牲と引き換えに、その偉大なる書物が自らの体に受肉する(s’incarner)のを感じる。他の者が書物に触れるには、講釈師の夜と肉体を通じる(traverser)必要があるというが、夜とはわれわれがこの「秘密の書物」の著者に限りなく近づくことのできる神聖な時間帯である。
またそれは、光と対をなすものでもある。書物から発せられた光は、それを読もうと興味本位に手を延ばす者の目をくらます(aveugler)。こうして提示される失明の主題は、暗闇に包まれた夜のイメージと重なる。そして、その謎めいた書物に魅了されたわれわれは、講釈師をtraverserする――この語り手の体を架け橋とする、あるいは彼とともに物語を経験する――ことで、運命という名の、世にも奇妙な秘密の重みを共有する立場に置かれたといえる。
この「秘密の書物」の、解読が必要とされる難読書である点、講釈師がその内容をすべて暗記している点[30]、聴衆を前に朗唱される点は、イスラームの聖典であるクルアーンを彷彿とさせる。また、受肉と聞くと、まずキリストの託身が想起されるが、ここでは、それがイスラーム神秘主義における重要な概念「神の落入(フルール)[31]」を示唆しており、「(アフマドの)精神が(講釈師の)肉体に宿る」あるいは、「神性が人性(講釈師)に宿る」といった意味を含んでいるとも考えられる。
さて、作中に登場するアフマドのエクリチュールは、主にjournal(日記)、cahier(ノート)、lettre(手紙)、livre(書物)の四つに分類できる[32]。場面によって使用される語が異なるのは、フランス語が反復を嫌う言語である以上に、各表現のニュアンスの違いが、そこに書かれていることと深く結びついているからではなかろうか。ここではそれぞれのエクリチュールの特徴を整理してみたい。
まず、アフマドのエクリチュールのうち、journal(日記)と呼ばれるものには、多くの場合、文章の冒頭に「日付」が確認できる。それは「自己への回帰(le retour à soi)[33]」を目的に、主人公によって、あるまとまった期間に継続して書き連ねられている。作中にて語り手は、アフマドと思われる男が「かつてエジプトの詩人が日記をつけることの意味について語った言葉を知っていた[34]」と話す。その内容は以下の通りである。
『人はどれほど遠くから戻ってこようと、自分自身から戻ってきたにすぎない(De si loin que l’on revienne, ce n’est jamais que soi-même)。日記は、断ち切ったものを語る(dire ce qu’on a cessé d’être)ためにときとして必要なものだ』[35]
この引用はアフマドが執筆行為に及んだ子細を表現しているといえる。フランス語で記された実際の文章は、達観的でありながら不明瞭である。どれだけ遠くから戻ってこようと、それは自分自身でしかない――これは、どのような運命を創造しようと、いずれは神の定める現実(l’origine)に落ち着くことを意味するのだろうか。原文のce que l’on a cessé d’êtreという言い回しにも目が留まる。それは「切り離した過去[36]」と解釈できるが、原文の表現は曖昧である。Il avait cessé d’être ce que son père voulait qu’il soit――êtreにはこのような隠された節が続く気がしてならない。日記とは、ただ記すだけでは十分でない。胸の内を綴り、さらにそれを未来のある時点から読み返すという一連の作業をもって、はじめて人は、かつての自己と今ある自己の差異、要するにévolutionに気づくことができる[37]。アフマドの日記は、紛れもなく自らの宿命に抗う記録のメタファーとして機能しているのだ。
また、journalという語は、しばしばintimeという形容詞を伴って「日記」を意味する[38]。このことからも、日記をつける行為が「私的な(privé)」営みであることがうかがえる。一方で、作中には、同じjournalという語が「新聞」という全く別の意味で用いられている箇所がある[39]。それはアフマドの父親が「全国版の大新聞の紙面の半分を買い取って[40]」、世間に対し、待望の「息子」の誕生を大々的に報告する場面である。「公的な(publique)」場において個人的な経験を強調する父親の行動は、密かに日記をつけるアフマドのそれとは、まるで対照的である。「恵み深い神よ[41]」という文言で始まる新聞の内容に関しては後述する。
次に、アフマドのエクリチュールにおけるcahier(ノート)は、主人公が自らの思考(les pensées)、特に苦悩を綴ったページを指しているように思われる。ノートは不定期に更新されてきたようだ。とりわけ、主人公を揺るがす何かしらの「転機」があった場合に、彼自身が、自らと対峙する目的で、あるいは自らの存在に疑問を投げかけるかたちで、ときに激しい感情を伴いながら、その奇妙な発見や特異な出来事について記してきたといえる。
加えて、ノートには匿名の相手と交換した、いくつかのlettre(手紙)が挟まれている。手紙の中には日記と同様に、それが記された「日付」や「時間帯」の確認できるものがある。日記と手紙の境は曖昧で、しばしば書き手の語りかける相手(le destinataire)が明示されないがゆえに、講釈師がどちらを参照しているか判断がつかなくなるほどである[42]。
そして、これらのエクリチュールを総称したものがlivre(書物)ではなかろうか。livreという語が醸し出す重々しい雰囲気については前述している。アフマドが一生の様々な時点で書き残してきた記録の数々が合わさるとき、それがひとつの命(la vie)で満たされるのだ――。
次の節では、便宜上アフマドの人生を四つの時期に分類する。各期間に手記には具体的に何が記されてきたかを丁寧に確認していくことで、主人公が「自己への回帰(le retour à soi)」に至る過程を明瞭化できると考えられるからだ。
第二節 「私」と執筆行為
① 幼少期
講釈師が実際にノートを開き、アフマドの言葉を直接引用するのは、彼が幼少期に訪れた浴場、そしてモスクにおける記述がはじめてである[43]。そこは、主人公にとって「苦い思い出が残る奇妙な発見の場[44]」となった。
ほんとうは、父といっしょに行きたかった。父はすぐに風呂から上がり、いつ終わるとも知れぬ儀式めいたこと(ce cérémonial interminable)もなかった。しかし、母にとっては、外出して、他の女たちに会い、体を洗いながら、おしゃべりをする機会だった。私は死ぬほど退屈で、胃が痛くなった。もうもうと立ち込める湯気に包まれて、息苦しかった(j'étouffais dans cette vapeur épaisse et moite qui m'enveloppait)。[45]
女たちの生活は、限られたものだった(la vie était plutôt réduite)。料理、家事、待つこと、浴場での週に一度の休息、それだけだった。私は、自分がこれほど狭い世界の住人でなくてよかったと、密かに満足していた(J'étais secrètement content de ne pas faire partie de cet univers si limité)。[46]
母にとって浴場は、出かけ、他の女と会い、体を洗いながら話をする機会だった。アフマドは、父と浴場へ行くと、この「いつ終わるとも知れぬ儀式(ce cérémonial interminable)」を免じられた。なぜなら、それは男であるアフマドが行うべきことではないからだ。cérémonialという語には、「儀式」の他に「しきたり」という意味がある。女たちの暮らし――料理、家事、待つこと、浴場での休息――は、明らかに習慣と化しており、もはやその限られた生活に異議を唱える者は誰一人いない。しかし、アフマドは違う。彼は女たちのしきたりに「死ぬほど退屈」し、自らが――彼女たちのそれとは異なる――より開かれた世界なるものを生きている現実に安堵するのであった。interminableという語は、代わり映えのしない女たちの日常が、この先も果てしなく続いていくかのような陰鬱さを感じさせる。
その一方で、「息を詰まらせる」の他に「抑圧する」、「もみ消す」といった意味を持つétoufferは、アフマドの置かれている状況をほのめかすようである。「もうもうと立ち込める湯気に包まれて」と受動態で訳される箇所は、原文ではcette vapeur épaisse et moite qui m'enveloppaitであり、動詞envelopperの目的語はme――「私」である。どうやら浴場とは、重く湿った靄が「私」の裸身を覆い隠し、運命を不可視なものに変貌させてしまう場所でもあるようだ。
これまでに参照した引用から、少なくとも幼少期のアフマドは、男児として扱われることを名誉に感じていたことがわかるだろう。「自分がこれほど狭い世界の住人でなくてよかった」――それは紛れもなく、男として社会に出ることで特権を味わった者の抱く所感である。しかし、以下の引用に表れる恐怖や嫌悪感といった負の感情は、父親に体を触られることに対する「本能の抵抗」とも読むことができる。それはアフマドの社会的な地位、あるいは男としての存在そのものを揺るがすものでもある。
父はときどき気が向くと、私の体を洗う役を引き受けるのだが、私はそれが嫌で、ときにはそうなることを恐れていた。[47]
そして、父親の陰謀を暴こうと抵抗する本能を、いわば暴力的に押さえつけようとする者がいる。
母は私の胸のことを心配して、白い亜麻布を胸の周りに巻いた。私は、薄い布をきつく巻かれて(elle serait très fort les bandes de tissu fin)、息ができないほどだった。乳房が膨らむのは、絶対に食い止めなければならなかった。私は何も言わず、されるがままになっていた。この運命があるからこそ、人とは違う存在になり、多くの危険を冒すことになった(l'avantage d'être original et plein de risques)が、私はそれが気に入っていた。[48]
ここでアフマドの胸にさらしを巻きつけるのは母親である。それは常にアフマドの体を締めつける。八人目の子どもを息子に仕立て上げた父親は、家族、社会、あるいは息子本人を欺くことには成功したようにみえるが、子どもの体は神の定めた運命にどこまでも従順なようだ。「乳房が膨らむのは、絶対に食い止めなければならなかった」――母親とアフマドの見解は、この時点において一致している。それは親子による神への挑戦を意味する。母親は、この場面においてたしかに父親の「共犯者(la complice)」として描かれるが、それは同時に「息子」の成長を見守る「協力者(la collaboratrice)」でもあるのだろう。一方の父親は、アフマドに人とは違う存在となること(être original)の魅力を教え込むことに成功した。このoriginalという語が、後に語られる主人公の「自己への回帰(le retour à soi)」の旅を、この場面において示唆していることを、ここに付け加えておこう。
ノートには、浴場の記述に続いてモスクを訪れた際の様子が綴られる。
私はモスクにも行った。男しか入れないこの大きな建物の中にいるのが、好きだった。いつも祈りを唱えたが、よく間違えた(Je priais tout le temps, me trompant souvent)。私はそこでも遊んだ。皆がクルアーンを唱えると、私はめまいがした。集団の唱和から抜け出して、自分だけ勝手につぶやいた。情熱の裏をかく(déjouer cette ferveur)のは、楽しかった。私は聖典をぞんざいに扱った。父は無関心だった。父にとって大切なのは、私がこれらすべての男たちの中にいる(ma présence parmi tous ces hommes)ということだった。[49]
アフマドが、男だけが立ち入りを許されている礼拝所という清浄な場所に足を踏み入れ、堂々と祈りを唱えることは、神に対する明らかな冒涜である。同時にそれは自らを欺くこと(se tromper)でもある。父は聖典に目もくれないアフマドの粗放な態度には興味を示さない。彼の唯一の関心事は、八人目の子どもの――信仰心の厚薄などではなく――男としての存在(sa présence)そのものなのだから。アフマドは集団の和を乱し、勝手気ままに振る舞うことに喜びを見出している。ここにおいても、父親、あるいはアフマド本人による神の怒りを買う行為が目立つ。ここで用いられるdéjouerという動詞が、「演じる」、「もてあそぶ」等の意味を持つjouerを内包していることに言及しておこう。
② 青年期
さて、思春期を迎えたアフマドは、どのように人生を綴っているだろうか。「白紙のページ[50]」をめくると、そこには自らの存在に疑問を投げかける主人公の様子がみてとれる。以下の引用は、「名前に対する体の抵抗[51]」、特に話すことに対する苦悩が述べられた箇所である。
この声の要求がどれほどのものか、私にはわかっている。怒り、叫び、極度のやさしさ、低いささやき、つまり変則的なこと(l'irrégularité)は避けなければならない。常に一定していることだ(Je suis régulier)。そして耐えがたいイメージを踏みつけるために、私は黙り込む(je me tais)。おお、神よ。この真実が、どれほど私にのしかかり、どれほどの厳格さを要求してくることか。私は建築家であり、建造物でもある。木であり、樹液でもある。私であると同時に、別の男でもある。私であると同時に、別の女でもある。[52]
声に「支配」された「私」は、常に規則的(régulier)である。怒り、叫び、やさしさ、ささやき(l'irrégularité)が許容されないということは、声――自己を語り伝えるはずの道具が、抑揚を欠き、感情と完全に切り離されたものとなることを意味する。読むことと書くことは、どちらも教育の恩恵を享受できる男の特権であるが、アフマドが書くことを選択したことには、どうやら自己を取り巻くイマージュとの対立という側面があるようだ。なぜなら、言葉を発し続ける限り、声に裏切られ、「真実は遠ざかっていく[53]」からだ。声の持つイメージ――隠された女らしさ、強制された男らしさ――に対抗するには、口を閉ざさし(se taire)、声を封じ込めなければならない。書くことは、声の制約から解放されることであり、語るための唯一の手段なのだ。
「教養のある青年[54]」となったアフマドは、ある日、赤く血に染まったシーツに逃れられない宿運を悟る。そのとき、彼が父親に投げかけるのは以下のような言葉だ。
ぼくは、自分の境遇に甘んじて生きているだけでなく、それが気に入っている。ぼくは今の生活に興味を持っている。知りえなかったはずの特権を与えてくれるからだ。扉は開かれた。たとえその後でガラスの檻(une cage de vitres)に閉じ込められようとも、ぼくは自らそうしているのだ。[55]
ガラスの檻(une cage de vitres)――それは、男女を隔てる見えない壁のメタファーだ。作品の舞台となるモロッコ社会に生きるアフマドは、越えられない暗黙の境界が、両者のあいだに決定的な差異を生んでいる事実に気づいている。葛藤を抱えながら生きることで、常に「選択」を迫られるのだ。
ぼくはあらゆる本を読んだ。解剖学、生物学、心理学、天文学さえもだ。多くの本を読み、そして幸福を選んだ(j’ai opté pour le bonheur)。苦しみや孤独がもたらす不幸は、大きなノートの中に厄介払いした(je m’en débarrasse dans un grand cahier)。ぼくは人生を選び取ることで、冒険を受け入れた(En optant pour la vie, j’ai accepté l’aventure)。ぼくはこの物語の最後まで行ってみたい。ぼくは男だ。[56]
引用中に反復されるopterという動詞は、débarrasserと対立をなす。また「人生を選び取ることで、冒険を受け入れた」という文に注目すると、選び取る(opter)という主体的な行為に、受け入れる(accepter)という受動的な態度が並列していることに気づく。何かを選択することは、別の何かを手放すことであり、決断の結果が導く事柄には責任を持たなければならない。男であることの不可能性を暗示しながら、なおアフマドが自らの意志で選択したのは、男として生きることで得られる利益であり、一方でノートに追いやったのは、彼の中に眠る厄介な女らしさ(sa féminité)である。父の生み出した「息子」は、もはや彼の操り人形ではない。与えられた運命を受容しつつ、新たな道を創造していくのだ。こうしてアフマドは、「男であり続ける[57]」ために、妻を迎えることを決意する。
③ 結婚期
青年期の主人公は、人が変わったように粗暴になり、奇矯な行動に走る。家族と距離を取り、次第に二階の部屋に籠もるようになった彼は、「多くの本を読み、夜になると文章を書いた[58]」。そしてあるとき、母に「妻にする女を選んだ[59]」と告げる。
「従姉妹のファーティマだ。母さんが娘を産むたびに喜んでいた叔父さん、父さんの弟の娘だ」[60]
ファーティマは癲癇で脚が悪い。そのうえ、父と財産相続で揉めていた弟のうちのひとりの娘である。アフマドの申し出に戸惑いを隠せない母親に、彼はこう続ける。命令するのは自分であって、女たちは黙って従うまでだ、と[61]。七人の姉とアフマドを決定的に分かつ何かがあるとすれば、それは「反抗心[62]」であろう。彼の無遠慮な態度からは、結婚に対する強い執着が感じられる。講釈師は再びノートを開くが、そのページは涙でインクがにじみ、判読しづらくなっている[63]。
体の下になって痛む両腕を、私はしっかり抱え込み(Dans les bras endoloris de mon corps, je me tiens)、まるで逃げ出すように、奥の奥まで降りていく。起伏の中を滑っていく。この谷間の臭いが好きだ。姿なき存在から送られた雌馬(la jument envoyée par l’absent)がいななき、私はぎょっとする。白馬だ(Elle est blanche)。私は目を覆う。私の体は、次第に欲望(mon désir)に目覚めていく。私は欲望を手で(par la main)つかまえる。欲望は抵抗する。雌馬は走り去る。私は、自分の体を抱いたまま眠り込む(Je m’endors, enlacé par mes bras)。[64]
上記の引用には、まるでアフマドの夢を垣間見ているかのような奇妙な印象を抱く。夢の中で行動の主体となる「私(je)」が、すべて女としてのアフマドであると仮定しよう。一方で、所有形容詞を伴う体の部位は、どれも男としてのアフマドの支配下にあると考える。「私」を驚かせた白い雌馬は、「結婚の儀」を象徴していると考えられる[65]。雌馬を送り込んだ「姿なき存在(l’absent)」とは、ファーティマとの結婚を望む、もうひとりの自分――夢には「不在の(absent)」男としてのアフマドであろう。また、欲望の目覚めは、女としての自己の目覚めのメタファーと読むことができる。「私」は手を使い(par la main)、その欲望を引き留めようと努めるも、苦戦する。雌馬が遠ざかるにつれ、「私」は次第に意識を失う。夢から目覚め、現実に戻ることは、「私」にとっては眠りにつくこと(Je m’endors)を意味するのだ。引用の冒頭で登場する「両腕」には定冠詞が充てられている(les bras)が、末尾に登場する「両腕」には所有形容詞が用いられている(mes bras)。これはles brasに対する「私」の制御が及ばなくなったこと――それが「もうひとりの私」に従属するものとなったことを意味する。それゆえ、この引用箇所から読み取れるのは「現実の私」と「夢の私」の思考の分裂である。
この時期のアフマドのエクリチュールからは、まるでいつかそれが他人の目に晒されることを、書き手自身が執筆の段階で予期しているかのような奇妙な印象を受ける。いや、われわれのような他者が想定されているというよりは、アフマドこそが彼自身にとって立派な他者となりうるのだろう。執筆行為を通じて、彼は埋もれた「自己」と対峙する。心の底に眠る「他者」との接触が無意識のうちに目指されるのだ。前述したように、『砂の子ども』には、アフマド本人が旧市街の広場を訪れ、自身の人生を顧みて語る場面はないとされている。あくまで彼のエクリチュールが物語を動かす要となるのだ。それにもかかわらず、読者が常にこの主人公を身近に感じ、彼とともに物語を経験しているかような錯覚に陥るのは、その文体が原因であろう。物語に没頭する読者は、それがアフマドによって発された言葉であるか、あるいは書かれた言葉であるか、いつの間にか判断がつかなくなってしまう。われわれは、この物語の「読み手」にも「聞き手」にもなりうるである。
正体不明の相手(voix lointaine, jamais nommée[66])と文通が始まると、その「対話」という形式は判然とする。送られてくる手紙には署名がなく、あっても判読できないものばかりで、やり取りの相手は――匿名の男か女か、あるいは架空の人物か――定かではない[67]。そのうえで確かなことは、文通を通してアフマドが自らの境遇について思いをめぐらすようになったことだ。アフマドはありとあらゆる見せかけを生きていく――ファーティマの存在を利用して保身を図るはずであった。しかし、彼女からその死の床にささやかれた言葉をきっかけに、計画の前途は崩れ落ちる。
私たちは、病身である以前に、女なのだ。むしろ、女だからこそ、病身なのかもしれない……私たちの傷のことは知っている……それは同じものだ……私は逝く……私はあなたの妻、そしてあなたは私の妻……あなたはやもめになる。[68]
Nous sommes femmes(われわれは女である)――ファーティマは、アフマドの正体を見抜き、その運命をいとも簡単に言い当ててしまう。突然突きつけられた事実に困惑し、動揺する主人公は、妻の死後、再び部屋に引き籠もり、支離滅裂な文章を書くようになる。アフマドは、そんなときに正体不明の相手から届く手紙に、戸惑いつつも支えられる。「自分の心の中で何が起きているかを理解し、説明をつけたいという思い[69]」が、アフマドに執筆行為を継続させるのだ。
両者のあいだで交換される手紙に注目すると、ある意外な事実に気づく。アフマドは父の画策や結婚の意志など、自らの境遇について明記していないが、相手の返信にはすべて知り尽くしているかのような余裕が感じられるのだ。まるで匿名の相手が、常にアフマドの受難をその側で見届けてきたかのような印象である。
あなたはこうしたコミュニケーションを信じないでしょうが、私にはすぐにあなたが特別な人で、自分自身から、自分の体から抜け出した人だとわかりました。[70]
その証拠にアフマドは、ある手紙の中で文通相手に以上のように告げている。le destinataire――メッセージの仮の受け手はノートから手紙への移行をもって読者から文通相手へと変化したが、アフマドは手紙の中で自己との対話を継続している。われわれにはアフマドの手紙がいつどのように出されたかを知ることができない。よって、庭の入り口の石の下で見つかったり、朝食の盆の上に載せられたりして届けられる手紙[71]が、主人公の「想像の産物」である可能性もまた、拭えないのである。
④ 旅行期
匿名の相手との文通を経て、自らの体を「本来の欲望に立ち戻らせる[72]」には、引き籠もるだけでは十分でなかったことに気づいたアフマドは、家を空け、旅立つことを決意する。感情を再教育し、習慣を放棄するのだ[73]。アフマドは、自らの「苦悩の唯一の記録、および証人」である手記を持って旅に出る[74]。「半分は既に書き込まれているが、残りの半分には幸せなことが書けるようにしたい[75]」――そう漏らす主人公は、執筆をもはや自らにつきまとう厄介なイメージを葬る作業とは考えていないようだ。むしろアフマドは、壊されたイメージを修復するため、筆を執る。
家を出ると、狭い路地でひとりの老婆と鉢合わせた。アフマドは、老婆に歯のない口で胸を愛撫され、わずかながら快感を得た経験を振り返り、それを「書くのは辛く、恥ずかしい[76]」と顔を紅潮させる。彼――あるいは彼女と呼ぶべきか――は、やはりこの場面においても、自らのエクリチュールが公になること、つまり、ある特定のdestinataireを想定しつつ、告白に踏み切っている。
老婆との出会いを忘れられずにいる主人公の前に姿を現したのは、オーム・アッバースである。この老婆は、アフマドを旅回りのサーカスに連れ込むと、息子のアッバースを通じて、ある演し物に参加するよう命じる。それは、はじめに男に変装した主人公が舞台で踊りを披露し、五分ほど姿を消した後、美女となって再び現れるという設定だった[77]。変装(le déguisement)、芝居(le jeu)、見世物(le spectacle)、役(le rôle)――ここにもまたjouerの主題が登場する。神をあしらい、欺こうとした(joué à tromper Dieu)[78]主人公は、ここにきて他人を演じる(joue au danseur / à la danseuse)[79]ことで、なるべき存在に揺さぶりをかける。アフマドは、「(性の二重性といったことではなく)ちょっとしたお遊び[80]」と称されるこの芝居に専念するうちに、次第に過去を忘れていく。「自分自身についてもっと知りたい[81]」――老婆からザハラ「アミラ・ローブ(愛のプリンセス)」(Zahra « Amirat Lhob », princesse d’amour)の名を授かった主人公は、「はじめて知る自己」に心軽やかで、嬉々とした様子(je jubilais, heureuse, légère, rayonnante)であった[82]。
彼は、女として踊って歌った(Il dansait et chantait)。その体は、恋する青年の喜びと幸福感を知った。そして、人目につかないようにして書いた(Elle se cachait pour écrire)。老婆が彼女を見張り、アッバースが彼女を守った。主人公は、あるときは男、あるときは女として、存在を回復しようとしていた。[83]
この手探りの自己探求は、主人公の体に失われていた感覚を呼び覚ましていく。Elle se cachait pour écrire――ラッラー・ザハラは、決して老婆に逆らおうとしなかった[84]。ただ黙って彼女の命令に従い、与えられた役を演じた。彼女が語るのは、夜中、ノートの中においてである[85]。アフマド、あるいはザハラのエクリチュールは、旅をする中で見出された感覚を繋ぎ合わせ、自己の再構築を促す場へと変化した。主人公は、執筆行為を通じて、ようやく神のもとへと舵を切り始めたように思われる。
第二章 『聖なる夜』におけるエクリチュール
『砂の子ども』の続編として知られる『聖なる夜』は、前作の主人公と思われるひとりの女性が、旧市街の広場に舞い戻り、自らの辿ってきた人生を語り出すことで始まる。父親に男として育てられた彼女は、そのタイトル通り、聖なる夜――イスラ-ム暦ラマダンの二十七日目、「啓示」の夜[86]に父の死によって解放され、生まれ変わる(naître de nouveau)と、新たな人生を歩むべく長い旅路に就く。
前作では、講釈師をはじめとする複数の人物がアフマドの人生を「外側」から語るという枠物語の構造がとられることで、主人公の受難がその苦痛とともに、ある種の神秘性を帯び、強調されていた。他方の『聖なる夜』は、アフマドと思われる人物――「私」なる者による一人称の語りをもって展開される。つまり、「私」が「内側」から自らの人生を回顧し、語るのだ。『砂の子ども』ではアフマドによって書かれたと思われる「手書きのノート」が物語の進行と不可分であったことを考えると、『聖なる夜』におけるエクリチュールの重要性は、前作と比べ、低下していると考えられるかもしれない。たしかに、『聖なる夜』には、「私」の日記や手紙が参照され、その内容が読者に提示される場面は極めて少ない[87]。本作ではむしろ、書かれたものよりも、書く行為そのものに焦点が当てられている。そして、その執筆行為に没頭するのは「私」であり、またコンスュルである。よって、第二章では、作中で参照されるエクリチュールの内容以上に、それらが書かれる経緯や意図に注目した考察を展開したい。
第一節 コンスュルと執筆行為
「聖なる夜」に自由の身となった「私」は、父の葬儀で出会った青い服の騎士――長老に連れられ、かぐわしき庭と呼ばれる、子どもたちの暮らす謎めいた村で一昼夜を過ごす。しかし、長老を誘惑し、村の秘密を暴こうとしたとして、「私」はその晩、子どもたちに寝床を襲われる。村から逃げ出した主人公を待っていたのは、「顔のない男[88]」であった――「私」は森の中で見知らぬ男に強姦されたのである。森を抜け、辿り着いたとある小さな街で、体を洗い流すために訪れた浴場の番台をしていたのがアシーズ――コンスュルの姉である。彼女が身寄りのない「私」を家に招いたことで、謎多き姉弟[89]と客人である「私」[90]の三人の暮らしが始まるのだ。
アシーズの家に到着すると、彼女は「私」にコンスュルについて説明する。彼は教師として界隈の子どもたちにクルアーンを教えているが、姉は弟が大臣か大使になることを望んでいた。出世の可能性は、彼の「失明」によって途絶えたのだった[91]。
「コンスュルの世話をしておくれ」
「病気なんですか」
「いや、そうじゃないんが、目が見えないんだ。四歳のとき、熱を出して死にそうになった。それから、目が見えなくなった」[92]
アシーズと「私」のこのやり取りから、コンスュルは、幼い頃に出した高熱をきっかけに「盲目」となったことがわかる[93]。そしてアシーズは、目が見えないこと(être aveugle)と病気であること(être malade)は完全には同じでない(pas tout à fait)と強調する。
アシーズの申し出を引き受けた「私」は、二人の出かけたある日、コンスュルの部屋に立ち入る。清潔で(propre)、よく片付き(ordonné)、居心地のよい(agréable)その部屋には、ベッドの脇に小さな本棚が置かれ、点字の本が並べられていた[94]。そして、部屋の奥(au fond de la pièce)のテーブルには紙の入った赤い書類入れとともに、タイプライターが置かれ、文字が半分打ち出された紙が飛び出している[95]。私は、それを読むまいとしながらも、目に入った文章に興味を引かれ、いくつかの言葉の解読(déchiffrer)を試みる[96]。そして、それがコンスュルのつけている日記であることに気づいた瞬間、顔を赤らめる[97]。整えられた、見かけのよい部屋の最奥に設けられた執筆のための空間――。「私」は、偶然にも発見してしまったコンスュルの秘密に、まるで彼の心の最も深い部分に触れた/裏の姿を垣間見た(le fond)かのような興奮と悔恨の念を同時に抱くのであった。
コンスュルと「私」は、毎晩言葉を交わす中で――しかし、互いの「秘密」には触れずに――親睦を深めていく。ある晩、コンスュルはアシーズに、浴場を貸し切り、三人で訪れることを提案する。浴場は中央のホールにわずかな照明がついているだけで、「よほど目が良くなければ、白糸も黒糸も見分けられない[98]」と説明されるほどに、薄暗く、視界の悪い場所であった。コンスュルが導く浴場は、まるで目の見えない者が優位に立つ世界である。「私」は、その閉鎖された空間で、アシーズとコンスュルが互いに体を指圧し合い、快感を覚える様子を目の当たりにする[99]。その後、二人は部屋の中央で足を広げ、半熟のゆで卵と赤いオリーブを食べ始める[100]。ここに描かれる食欲は、肉体的な欲求のメタファーとも読め、ゆで卵とオリーブは、それぞれが精液と経血を示唆しているとも考えられる。
「私」はコンスュルに欲望を感じず、アシーズの横たわる姿に吐き気を感じると、手早く体を洗い、休憩室へ移動するのだった[101]。浴場から出たコンスュルは欲望が満たされたためか上機嫌であったが、姉から「私」がすぐに浴場を出ていたことを聞かされると困惑した[102]。その晩、彼は眠らずに日記をつける[103]。「私」はタイプの音に耳を澄ませ、朝が来るのを待った。時折、コンスュルの部屋のドアを開け、彼の書いている姿を見たいという思いに捕らわれながら――[104]。
コンスュルは「私」を、姉と自らを結びつけている秘密の共犯者にしようと考えていた[105]。おそらく彼の感じた困惑は、その計画が失敗したことにあるのだろう。「私」は浴場が象徴する「コンスュルの世界」に一度は足を踏み入れたものの、強い関心を示さなかった。それは「私」にとって浴場が、過去の記憶と結びつき、トラウマを引き起こす場所であるからかもしれない[106]。しかし、「私」は後に、これとは異なる方法で失明の世界の扉を開き、この青年に近づいていく。
コンスュルは、エクリチュールによって現状を明らかにしようと試みる。彼がものを書く――あるいはタイプする――のは、経験する事柄をうまく処理し、理解するためである。まさに彼はそこに「転機」を記しているのだ。その証拠に、彼は「私」と出会うまでの数ヶ月間を、ものを書かずに過ごしている[107]。アシーズは、弟の誕生が一家にとって「光であり、恵みであった[108]」と語っている。その待望の子どもが失明し、完全に光を失った。彼が書く喜びを取り戻したのは、「私」の訪問によって、陰鬱に包まれた家に再び光がもたらされたからなのだ。
数日後、コンスュルは大きな花束を抱えて帰宅する。そしてそれを「私」に手渡し、今後は家政婦として(comme une femme de ménage)ではなく、思索の友として(comme partenaire dans mes réflexions)側にいてほしいと告げる[109]。
あなたにはわかっているだろうが、ぼくは単純な男ではない。目が見えないこと(la cécité)を武器(un atout)にしようとしている。障害(une infirmité)だとは思っていない。ぼくはときには不公平になることもある。暴挙を冒すようなこともある。あなたは、ぼくが何を書いているのか知りたいだろう。いつか、何ページか読ませてあげよう。ぼくの世界(mon univers)は、ほとんど内向的なものだ。ぼくは、その世界の中に想像の産物(mes propres créations)を配置している。ぼくは暗黒の部屋(ma chambre noire)に宿るものを支えにしなければならない。書いてある内容をすべて教えたら、あなたは驚き、戸惑いさえするだろう。それはぼくの秘密だ(C’est mon secret)。だれも、姉でさえ近づくことができない。ぼく自身、自分が知っていることが恐ろしくなることがある。ぼくの方にやってきて、ぶつかるものを、ぼくは自分のスクリーンから消していく。[110]
この場面において、コンスュルは自身の「失明」について言及している。アシーズがかつて失明は病気ではないと語ったように、彼自身もそれが生きるうえで「武器(un atout)」となりうることを知っている。Ma chambre noire[111]は、盲者の世界のメタファーであり、また、彼の抱える、孤独で内向的な側面と関わりがあるように思われる。他人のエクリチュールを読む行為は、秘密の共有をもって、筆者と読者が「共犯関係(la complicité)」を結ぶことである。ここにきてコンスュルは、自らが隠し持つ秘密の共犯者となるよう、再び「私」を誘惑するのである。
コンスュルは自らの世界から障害となりうる一切のものを排除すると、それを想像の産物で満たしていく。『砂の子ども』が、主人公が自らを取り巻く有害なイメージ(l’image funeste)からの脱却、および失われたイメージ(l’image disparaît)の探求を目指す物語であったとすれば、『聖なる夜』は、主人公がイメージのない世界に引き込まれ、自らの望むかたちで新たなイメージを創造していく物語であろう。「私」が「コンスュルの世界」への接近を試みることには、そのような意図があるはずである。
第二節 牢獄における文通
コンスュルにとって最大の障害とは、失明ではなく、禁欲によって生じる頭痛だった[112]。「私」は「禁じられた場所」に対する興味から、アシーズに黙って、コンスュルが頭痛から逃れるために度々訪れるという売春宿への付添人を買って出る[113]。そして、通された部屋から女主人に連れられてやってきた若い女を去らせると、コンスュルの待つベッドにそっと近づき、沈黙のうちに彼と交わる[114]。こうして二人は、ついに秘密の契約によって結ばれると、しばらくのあいだこの茶番を演じた[115]。互いに愛し合っていた「私」とコンスュルの仲を引き裂いたのは、ある明け方に「私」の叔父であり、亡き妻ファーティマの父である男を連れて帰宅したアシーズであった[116]。彼女は「私」の過去を突き止めるべく、旅に出ていた[117]。「私」にコンスュルを奪われたアシーズは、嫉妬と憎悪に駆られ、二人の縁を切ろうとしたのだった[118]。忘却の中に追いやったはずの記憶が蘇り、冷静さを失った「私」は、コンスュルの部屋から銃を持ち出すと、すべての弾丸をこの男の腹に撃ち込んだ――[119]。
裁判で有罪の判決が下されると、「私」の刑務所での生活が始まる。しかし、監禁は「私」にとって罰ではなかった。「私」は、男に変装していた――「ひとつの役割しか与えられず、自由でなかった」――時期をむしろ牢獄に例えている[120]。監禁生活に「私」が思考することを止められるものは何ひとつない。
「私」は目隠しをし、壁の隙間から差し込むかすかな光さえも遮ると、「長く深い闇に沈んだ[121]」牢獄でコンスュルを想う。「私」は、面会に来たコンスュルから本や紙の束、ペンを受け取ると、目を覆うことによって強められた書くことに対する欲望を満たすため、夜、部屋の明かりが灯るわずかな時間にのみその覆いを外し、思いのままを書きつけていく。しかし、コンスュルは慣例となっていた週に一度の面会に、あるとき姿を見せなかった。その代わりに看守を通じて「私」に一通の手紙を届ける。
封筒は開封されていた(L’enveloppe était déchirée)。私は目隠しを外した(Je retirai mon bandeau)。部屋は暗くて(obscure)、文字が読み取れないので、ベッドに乗って、窓にかけた黒い布を取った(enlevai le morceau de tissu noir)。一条の光が入り、文字が読めるようになった。足が震え、目を開けていられなかった。私はしばらく待った。[122]
コンスュルの手紙には、アシーズが脳溢血で亡くなったことが記されていたが、それは「私」のもとに届けられる以前に看守に読まれたのか、封筒が破られていた。暗闇に包まれた牢獄は、孤独な空間であり、コンスュルの生きる盲目の世界に限りなく近い場所であった。しかし、手紙の開封、目隠しの取り外し、窓からの光の取り込みは、すべて「私」がコンスュルのエクリチュールに到達するために欠かせない作業であり、暗闇からの脱出を意味する。エクリチュールから見出されるコンスュルに近づくためには、光が不可欠なのだ。獄中の「私」は、このように二通りの方法でコンスュルへの精神的接近を試みるのである。
コンスュルの面会は、次第に(de plus en plus)間遠になっていった。彼は手紙を書くほうがいいと言った。手紙には、ほとんど毎回(me répétait dans presque chaque lettre)、囚われの身の私を見るのが、どんなにつらいかと書いてあった。私はこの誤解を解くために、時間(longtemps)をかけて手紙を書き、さらに時間(encore plus de temps)をかけて、投函する決心をした。その手紙は、彼に直接読まれるのではなく、第三者に読まれるだろう。面接室で、私が直接、彼のために読みたかったが、私たちの会話は聞かれていた。私は、点字を書こうと思った。刑務所の上層部に申請を出したが、何の返事もなかった。彼らは私のことなど、どうでもよかったのだろう。今なら、カセット・レコーダーを使うだろうが、当時はまだなかった。私ははじめての愛の手紙を何度も書き直した(réécrire plusieurs fois)。[123]
面会の機会が減ると、自然と文通の機会が増えていく。「私」はコンスュルへの返信に時間をかける。長い時間(longtemps)、さらに長い時間(encore plus de temps)等の時間表現、反復や変更を意味する接頭辞(ré-)を伴うrépéter、réécrire等の動詞から、「私」からコンスュルに送られた手紙が、いかに推敲の重ねられたものであるかがうかがえる。
「私」とコンスュルの関係を怪訝に思っていたのは、アシーズだけではなかったようだ。看守をはじめとする牢獄の人間たちは、「私」とコンスュルを隔てる壁となる。彼らは「私」に宛てられた手紙を開封するだけでなく、面会室での会話に耳を澄ませ、コンスュルに宛てられた手紙を読むのである。
さらに、彼らは「私」がかつて葬ったはずの「過去」を牢獄に招き入れる。彼らは「私」を地下室へ誘導し、気の狂った姉たちと再会させたのだ。復讐心に満ちた女たちは、「家を略奪し、相続した財産を持ち去った[124]」罪として、「私」に「性器切除の儀[125]」を施すのだった。以降、私は激痛と悪夢にうなされる日々を送る。悪夢は過去のトラウマと深く結びつき、「私」の体と精神を蝕んでいく。アシーズや牢獄の人間たちが望んだ通り、「私」とコンスュルの関係はこの事件を機に破綻へと向かう。事件後、「私」はコンスュルに短い手紙を差し出している。それは「私」が彼に宛てた最後の手紙となる。
あなたを見失いました。闇の中を行く私には、もうあなたの姿は見えません。病。病。傷ついた体。あなたは、私のたったひとつの光です。ありがとう。[126]
「光として導いてくれる存在」を見失った「私」にとって、失明は、もはや「病」も同然である。
やがてコンスュルは「私」の入院する病院に最後の別れを告げに来る。
あなたの声だけが、ぼくの体を生き生きとさせる、ぼくは書いている。[127]
ここに再度、「声」の問題が――しかし、第一章とは異なるかたちで――導入される。コンスュルは恐れおののきながらも、明け方に届く「私」の声を聞き、「私」が語りかける言葉を書き写していくのだ[128]。『砂の子ども』において、主人公は、声の生み出すイメージに度々苦しめられていた。「声のリズムや音色や旋律を制御する[129]」ことで男としての自己を保っていたのだ。「聖なる夜」を経て、自らを偽ることから解放された「私」にとって、声はもはや「仮面」の役割を果たさない。むしろイメージのない世界に生きるコンスュルにとっては、声こそが「私」の本質に辿り着く鍵となるのだ。
ぼくは、あなたの声を聞き、あなたを探している。だが、あなたは遠く、別の大陸にいる。ぼくの眼差しより、満月に近いところにいるのだ。そしてあなたの姿は、あるときは男になり、あるときは女になり、友情や愛情に捕らわれないすばらしい子どもになる。どうしても、あなたに辿り着くことができない。あなたは闇から生まれた。それは、ぼくの苦悩の夜にある夜の影だ。[130]
闇から生まれたという「私」は、これまでコンスュルを求め、彼の闇をさまよってきた。しかし、「私」が恐ろしい過去の記憶から解放され、救われるために求めるべきは、闇ではなく光であったのかもしれない。コンスュルは「私」が向かうべき場所を知っている。それは、満月が象徴する神のもとである[131]。
それから、私は目隠しを外し、闇の中をさまようのをやめた。空か、愛から発せられる光という観念に囚われた。その閃光が、私の体を透明にし、洗い流し、驚きを感じられるという幸福と、物事の始まりを知る素朴さを取り戻させるのだ。[132]
執筆行為と光は、牢獄で生活を送る「私」にとって常に不可分な関係にあった。光が神の導きを比喩的に表現しているとすれば、主人公のエクリチュールは、まさに「私」が「私」の本質に近づくために重要な役割を果たしたといえるだろう。
第三章 イマージュの変遷
これまで『砂の子ども』と『聖なる夜』の双方におけるエクリチュールの役割に焦点を当てながら、主人公の「自己への回帰(le retour à soi)」の軌跡を丁寧に辿ってきた。第三章では、エクリチュールと並行して重要な主題である「鏡」の諸問題を詳細に分析することで、「私」のエクリチュール、および「私」の執筆行為がもたらす効果を、これまでとは異なる視点から明らかにしてみたい。
また、作中に幾度となく登場し、本稿でも度々触れてきた「演じる」、「真似る」、「戯れる」、「もてあそぶ」、「だます」等の複数の意味を持つ動詞jouerに再度着目し、主人公の自己探求と、そこに垣間見る神の介入から新たな議論を展開してみよう。
第一節 様々な「鏡」
二作――とりわけ『砂の子ども』において「鏡」という語がいかに多用されているかは、作品を一読したことのある人であれば、よくわかるだろう。それは「鏡」が主人公と主人公を取り巻くイメージの関係を象徴的に語るうえで欠かせない道具であるからだ[133]。日本語に翻訳されれば「鏡」と一語にまとめられてしまうが、原書を注意深く読むと、実際にはそれが主に二つの語を意味していることに気づく――miroirとglaceである[134]。それぞれの語は、本文中でどのように使い分けられ、どのような効果を生み出しているだろうか。
① 『砂の子ども』における鏡の分類
『砂の子ども』における「鏡」の表現を分析するにあたっては、第一章と同様に、主人公の人生を大きく四つの時期に分類するのが有効であろう。
1-1 幼少期
「鏡」という語がアフマドのノートにはじめて登場するのは、母やその他の女たちと浴場を訪れた晩の出来事が記されたページにおいてである。
それから私は、いたずらっ子さながら、そこら中の女たちの脚の間を歩き回っては、たっぷり時間をつぶした。滑って転ぶのが恐ろしかった。広げた脚につかまった拍子に、毛の生えた肉付きのいい下腹が垣間見えた。美しくはなかった。気持ち悪いくらいだった。その晩、私は早く寝入った。女たちの影がやってくるのがわかっていたからだ。あんなにも太って脂ぎった姿を見るのは我慢できなかったから、私は鞄を手にして待っていた。そして彼女たちを鞭打った。私は絶対に彼女たちのようにはならないし、なり得ないと思っていたからだった・・・。それは、私にとって、受け入れがたい堕落だった。夜になると、私は、こっそり小さな手鏡(un petit miroir de poche)で下腹を見た。堕落の兆候は何もなかった。[135]
第一章で言及した通り、幼少期のアフマドは、女たちの狭く限られた世界とは対照的な、あらゆる可能性に満ちた世界がその眼前に開かれていることを感じている。その期待を確信に変えるために彼がとった行動が、鏡(un petit miroir de poche)を見ることである。彼は「太って脂ぎった」女たちの姿が象徴する堕落(une dégénérescence)のイメージが、鏡の中の自分の姿――彼のイマージュと全く無関係であることを証明してみせたのである。
幼少期のアフマドが鏡を覗き込むのはこの場面においてのみである。そもそも幼いアフマドは、自分自身が何者であるかを問うていない。彼はまだ「他者の眼差し」を気にかけていないのだ[136]。
1-2 青年期
前作においてmiroirという語が繰り返し登場するのは、青年期以降――特に、主人公が男としての思考や振る舞いと女の体の欲求のあいだに苦しむ時期である。
私はだれにも問いかけない。その問いには答えがないからだ。鏡の両面を生きている私(je vis des deux côtés du miroir)には、それがわかる。[137]
「鏡の両面を生きる」とは、どのような意味だろうか。鏡の表面、つまりガラスの張られている面には、そこに視線を送る「私」の像が映る――「私」というひとりの他者によって見出される「私」が浮かび上がる――のである。したがって、この場面において鏡の表面が示唆するのは、他人の目に晒され、誕生した「私」の表象であるといえよう。一方の鏡の裏面には当然のごとく何も映らない。存在するのは木板と向かい合った「私」の実体だけである。総じて「鏡の両面を生きる」とは、他者の視線を介して生まれた「私」のイメージと「私」がこうありたいと望む姿の乖離を意味するといえる。これらを踏まえたうえで、次の引用を参照してみたい。思春期を迎え、心身の変化に困惑する主人公は、自らを取り巻くイマージュに対する葛藤を「鏡」を用いて以下のように説明している。
結局、この凡庸な真実が、時間と顔を変形させ、私に鏡(un miroir)を差し出すのだ。自分の姿を見るときはいつも、深い悲しみで心が乱れる。その悲しみは、傲慢さを和らげ、人を望郷の念に沈み込ませる青春の憂鬱ではない。それは、存在をばらばらにし、地上から離して、まるで汚物の山か、落とし主が現れない役場の遺失物の棚の上か、あるいは鼠の巣になった廃墟の中にある、がらくたのように投げ捨てるのだ。鏡は道になり(Le miroir est devenu le chemin)、私の体はその道を辿って、こんな状態になった。それは土の中で潰れ、仮の墓を掘った。石の下で蠢めく草の根が生き物のように私の方に伸びてくる。私の体は大いなる悲しみの重みでひしゃげている。それがどんな形をしていて、どれくらい重く、どれほど闇が深いか、知っているどころか、推し測ることのできる人だってほとんどいない。だから、私はその鏡を避けている(j’évite les miroirs)。[138]
miroirに映し出されるイマージュの正当化を試みれば、自らの体もまた、そのイマージュによってゆがめられ、本質から遠ざかっていく。青年期のアフマドにとって鏡を眺めることは、自らの存在をさらに不確かなものへと導くことなのである。
さて、ここでmiroirに付随する冠詞について検討してみたい。Le miroir est devenu le chemin――ここでmiroirに定冠詞leが用いられるのは、引用の冒頭で登場したun miroirを受けてのことであろう。凡庸な真実が「私」に差し出した鏡(un miroir)こそが、結果的に「私」を真実から遠ざけることになる道(le miroir)へと変貌するのである。一方、引用の末尾に登場する鏡は、les miroirsと定冠詞の使用に加え、複数形で表記されている。これは、鏡が比喩表現としてではなく、現物、つまりひとつの道具として捉えられていることを意味する。「私」は、様々な鏡の総体――「私」の容姿を映し出し、「私」に特定のイマージュを強要するあらゆる道具――を避けているのであろう。
1-3 結婚期
その後、家族の反対を押し切り、従姉妹のファーティマとの結婚に踏み切ったアフマドは、家庭でさえも「夫」を演じきるつもりでいた。
私は、長いあいだ、眠っている彼女を眺めていることがあった。じっと見つめていると、彼女の輪郭はぼやけ、闇の井戸に埋もれた彼女の深い思考に入り込んでいくのだった。私は沈黙のうちに錯乱し、彼女の思考と一体化し、それを自分自身の思考として認識できた。そこにあるのは、私の鏡(mon miroir)であり、強迫観念であり、弱さだった。[139]
癲癇の発作に打ちのめされ、苦痛にあえぐファーティマは、誰からも愛情や優しさを示されることなく絶望の中を生きてきた[140]。アフマドはその思考の中で傷ついた存在であるファーティマと自分自身の境遇を重ね合わせている。この場面における鏡(mon miroir)が示唆するのは、アフマドと彼女の類似性であり、それぞれが同様に不幸なイメージを背負っていることが比喩的に語られている。
ファーティマは、あるときベッドで眠るアフマドに静かに近づき、その下腹を撫でると、飛び起き、怒り狂ったアフマドを前にはじめて微笑む[141]。
私には、あなたが誰なのか、ずっと以前からわかっていた。私の姉妹、私の従姉妹よ、あなたのそばで死ぬために、私はここに来た。[142]
ファーティマも周囲の人間によって構成された自己のイメージを演じ、生きていたのである。彼女の存在を利用し、体裁を取り繕うことで社会を欺こうと考えていたアフマドは、こうして自らが彼女を取り巻くイマージュに欺かれた身であることを悟るのである。
1-4 旅行期
やもめになった主人公は、ファーティマに突きつけられた現実を理解しようと、自らの体と向き合うことを決意する。
私は指で、そっと肌に触れた(Doucement mes doigts effleuraient ma peau)。じっとりと汗をかいて、震えがきた。快感なのか、不快なのか、わからなかった。私は体を洗い、鏡の前に立ち(en face du miroir)、この体(ce corps)を眺めた。鏡は曇っていて(Une buée se forma sur la glace)、自分の姿がよく見えなかったが、そのぼんやりとしたイメージが気に入った。魂の状態に呼応していたからだ。私は脇の下の毛を剃り、香水をつけ、まるで忘れられた感覚か、解放感を取り戻そうとするかのように、ベッドに入った。自分を解放するのだ。[143]
まるで意志を持っているかのように「私」の肌にゆっくりと触れるのは――je(私)ではなく――mes doigts(私の指)である。「私」の指が「私」の体をつたい、そこに女らしさ(sa féminité)を発見するのである。その後、鏡(le miroir)の前に立った主人公は、そこに映し出された体を見つめるが、ここで所有形容詞(mon)に代わって名詞corpsを修飾するのは、指示形容詞(ce)である。それは、「私(je)」と「体(corps)」の初対面を意味する。男アフマドにとって、欲望を生み出すその体は、自己の根底に眠る他者も同然なのだ。
実は、鏡を意味するもうひとつの語 glaceが『砂の子ども』において登場するのは、この一度だけである。ここでは、既にmiroirという語が直前に登場しているので、反復を避けるために使用されたと考えるのが妥当かもしれない。しかし、glaceを眺める主人公とmiroirと対峙する主人公には、ある決定的な違いがあるように思えてならない。これまでの主人公は、自己と他者の差異を明確化するため、もしくは自らの存在に対する疑問を払拭するために鏡と向き合っては、安堵したり不安を感じたりしていた。常に miroirには懸念がつきものだったのである。ところが、ここで鏡(la glace)を見つめる主人公は、そこに映し出される、霞んだ(trouble et floue)イマージュとは対照的に、晴れ晴れとした心持ちでいる。鏡の中のぼんやりとしたイマージュを気に入ると、毛を剃ったり香水をつけたりして内なる自己を積極的に引き出そうと試みるのだ。
ところで、miroirとglaceの最大の相違点は「名詞の性」である。いわずもがな、miroirは男性名詞、glaceは女性名詞である。
もし私が姉妹の中の余計者、八番目の娘にすぎず、別の不安と不幸の種だったとしたら、どんな人生を送っただろうか。この国の娘たちが皆そうであるように、姉たちが耐えている生活を受け入れることは、私にはとうていできなかっただろう。自分が優れているとは思わないが、私には強い意志と反抗心がある。すべてをひっくり返しただろう。ああ!今となってみれば、なぜもっと早く自分の正体を明かし、私をほんとうの人生から遠ざけていた鏡(les miroirs qui me tenaient éloignée de la vie)を壊してしまわなかったのかと悔やまれる。[144]
女性名詞であるglaceが主人公の「解放」を後押ししていると捉えれば、アフマドが壊すべきは男性性(la virilité)の象徴と考えられるmiroir――そう解釈することも可能であろう。
② 『聖なる夜』における鏡の分類
『聖なる夜』に登場するglaceが、さらにこの考えを補強する。「私」を家に招き入れたアシーズは、長いあいだ心を閉ざしていた弟のコンスュルが、「私」を前に書く気力を取り戻す様子を目の当たりにし、「私」の隠し持つ秘密に触れようと、過去を打ち明けるよう懇願する。すすり泣くアシーズを前に、「私」は以下のように語る。
この町に来る前、私は霊泉で、沐浴する幸運に恵まれたのです。私には、その霊験がどうしても必要だったのです。だから、過去のことはほとんど記憶に残っていません。覚えているのは、三つか四つだけです。すべては消え失せ、あるのは廃墟と霧だけです。なにもかも、古い布の覆いに包まれています。私はすべてを引き剥がし、二度とノスタルジーに浸るようなことはありません。私は身分を証明するものを捨て、運命の道を示す星に従ってきました。この星が、どこにでもついてきます。お望みなら、見せましょう。その星が消える日が、私の死ぬときです。私はすべてを忘れました。子どもの頃のこと、両親、家族の名前。鏡(une glace)に向かうと、幸せな気持ちになります。この顔でさえ、私には新しいものなのです…私は、他の顔をしていたにちがいありません。[145]
「私」は、コンスュルやアシーズと出会う以前、長老に連れられて立ち寄っていた村で「泉の湧き出る湖[146]」に浸かったことがあった。冷たく澄んだ水に背中を当てた「私」は、魂が戻り、生命となった体に「生きている」という強い感動を覚える――[147]。
この「霊泉での沐浴」は、罪を洗い清め、神の子として新しい生命を授けられるキリスト教の洗礼の儀を連想させる。またイスラームにおいても、沐浴はグスルと呼ばれ、身の穢れを取り払う行為として知られる[148]。いずれにせよ、この沐浴が契機となり、「私」は、かつて自らの思考を支配していた自我とそのイメージから解放され、感覚と欲望の目覚めを実感するのである。
物語の最終章においてもglaceという語が登場する。減刑となって刑務所を出た「私」は、一目、海を見たいという衝動に駆られ、砂浜を目指して街を出る[149]。明け方、「私」は大地から昇る白く柔らかな霧を眺めた後[150]、不意に小さな鏡(une petite glace)を覗き込む。
私は小さな鏡(une petite glace)で、自分の姿を見た。私の顔には、しだいに生気が蘇り、内側から輝いていた(Il s'illuminait de l'intérieur)。幸福で、軽やかな気分だった(J'étais heureuse et légère)。[151]
思い返せば、ザハラと思わしき語り手「私」は、『聖なる夜』の冒頭、口を閉ざし、語ることを拒んできたと打ち明けると、lourd[152]という形容詞を用いて、その重苦しい心情を語っていた。ところがこの物語は、彼女が鏡(une glace)を覗き込み、自らの表情に幸福感と軽快さ(heureuse et légère)[153]を感じ取る場面で終幕を迎える。それは「私」の魂と鏡に映る「私」のイマージュとが呼応しているからであろう。主人公の「自己への回帰(le retour à soi)」の達成は、このようにテクストの細部に注目することで、より鮮明に感じ取ることができる。セクシュアリティーを強制された過去の記憶を遠ざけた「私」の顔に、もはや迷いや葛藤はみられない。glaceとは、やはり解放の象徴なのであろう。
第二節 ジレンマからの解放
息子の誕生を渇望する父は、八つ目の命が妻の腹に宿るや否や、彼女を連れ、イスラーム寺院を訪れると、神に対して熱心に祈りを捧げる。息子を迎えるために尽力するも、子どもの誕生とともに、その期待は虚しくも裏切られてしまう。以降、父のムスリムとしての行動は、徐々に粗雑化する――。
第一章で言及した通り、アフマドの誕生時、父は新聞の一面を買い取ると、その吉事を世間に対し、大々的に報告している。「忠実なる僕[154]」を自称したり、「神のご加護と長寿が与えられますように[155]」といった文言を加えたりと、神を前に熱心な信者を装う父の姿は、なんとも皮相的である。
また父は、あるとき成長したアフマドをモスクへ連れて行くが、わが息子が男に囲まれているという事実に眉を開くと、聖典に目もくれないアフマドの気ままな態度には無頓着でいるのである。彼の唯一の関心は、アフマドが世間から男として認められ、敬意を払われることである。彼が恐れているのは神ではなく、周囲の人間たちなのだ。それは、そもそも父がなぜこれほどまでに息子の存在に執着したのかを考えれば、たやすく理解できる。講釈師は、父の状態について以下のように説明する。
おお、友であり、共犯者である皆さんよ、われわれの宗教が、跡継ぎのない男に対してどれほど残酷かは、ご存じだろう。跡継ぎがなければ、財産を全部失うか、ほとんどを兄弟に持っていかれる。彼の娘たちは、財産の三分の一しか相続できない。彼の弟たちは、財産の大半を自分たちのものにしようと、兄が死ぬのを待っていた。兄弟の仲は険悪だった。[156]
父が八人目の娘を男児として育てたことには、財産の相続という目的があった。忌々しい弟たちに遺産が渡らぬよう、彼が生み出したのが「アフマド」だったのだ。
クルアーンをぞんざいに扱う登場人物たちは、一見すると、イスラームという不平等な宗教に対する著者ベン=ジェルーンの容赦ない批判を代弁しているかのように思われる。しかし、第二章において確認したように、われわれの主人公は『聖なる夜』において、光が象徴する神の導きに従い、「自然」へと還っていくのである。内省(l’introspection)によって自己への回帰(le retour à soi)が達成される瞬間である。こうしてアフマド=ザハラのエクリチュールは、第一章で既に指摘した通り、「秘密の書物」として聖典に見立てられるに至るのだ。
『砂の子ども』には「イスラーム化される以前のアラブでは、娘を生き埋めにしていた[157]」との記述がみられる。この宗教は本来、それまで「立場の弱かった女性の地位を改善[158]」し、男女間の格差の是正を目指すものであった。イスラームの到来によって、当時の人々は無慈悲なしきたりの見直しを求められたはずである。しかし『砂の子ども』には、それらのしきたりが至る地域に根強く残り、人々の思考を束縛する様子が描かれる。われわれの物語の主人公であるアフマド=ザハラは、父親の無謀な計画の被害者となったがゆえ、多難な人生を歩むこととなったが、その父親もまた、家父長制という伝統に翻弄されたひとりの被害者だったのだ。
「息子」は、父の思惑通り、伝統に従って多額の財産を譲り受けるが、ザハラは、もはや相続した遺産には興味を示さず、姉たちにすべてを残していく。ここで、彼女の言動を通して伝統に固執する者の愚かさが揶揄されるのである。
私は、男を女より優遇する相続法の恩恵を得て、姉たちの二倍の財産を相続した。しかし、もうこの金はどうでもいい。姉たちに残していく。どんな過去の痕跡も残さないようにして、この家を去りたい。私は生まれかわるために出ていく。二十五歳で、両親も家族もなく、女の名前と、あらゆる嘘から解放された女の名前を持って、もう一度生まれるためだ。私は多分、長くは生きないだろう。私の人生は突然断ち切られる運命を持っているのだ。自ら望んだわけではないが、神と預言者を欺こうとしたからだ。だが、父親は違う。私は、実際、父親の道具、復讐の機会、呪いへの挑戦にすぎなかった。私には、演じているという意識があった(J'avais conscience de jouer un peu)。もし私が姉妹の中の余計者、八番目の娘にすぎず、別の不安と不幸の種だったとしたら、どんな人生を送っただろうか。この国の娘たちが皆そうであるように、姉たちが耐えている生活を受け入れることは、私にはとうていできなかっただろう。自分が優れているとは思わないが、私には強い意志と反抗心がある。すべてをひっくり返しただろう。ああ!今となってみれば、なぜもっと早く自分の正体を明かし、私をほんとうの人生から遠ざけていた鏡を壊してしまわなかったのかと悔やまれる。[159]
後半の引用部分は、先の節でも分析した。この場面においてザハラは、父の生み出した男児を多少は演じている意識があったと語りながら、他方では、より早くに正体を明かしておくべきだったと悔やんでいる。この矛盾した考えには、主人公の葛藤がよく表れている。物語の後半、ザハラは、アフマドとして生きることで手にした恩恵を手放し、その伝統を批判する立場に回った。このことは、主人公の女の体の欲求、つまり本能が、他に強制された男としての振る舞い、すなわち理性を上回った結果を示していると考えることもできるだろうが、ここでひとつの問いが生まれる。果たしてザハラは、仮にアフマドとして育てられるという波乱に満ちた人生を歩むことがなかったとして、姉に代表される他の女たちのように伝統に甘んじる、あるいは母のように口を閉ざし、沈黙を貫くという、忍耐によってのみなしえる抵抗を、その理不尽な社会に対し、示しえただろうか――。おそらく彼女は、これまでにわれわれが辿ってきた回帰の物語とは全く相反する方向へと進んでいくだろう――旅に出、生涯持ちうることのなかった男性性、要するに権力への接近を試みる。女である限り、決して見ることのできない景色に手を伸ばそうと、男を演じ、社会をその手中に収める者たちの思考に入り込もうと努めるのではなかろうか。ザハラは、やはり行動を起こし、その経験を語ることによって、不平等な社会に対する抵抗を示すはずである。ザハラは、結局のところ、男として生きる、女として生きるという言葉が抱える葛藤――性別ごとに予め決められた、社会における役割分担そのものへの激しい嫌悪を、その立場の切り替えにおいて体現していると考えられるのだ。
動詞jouerの分析を通して、この二作を、ザハラによる忌まわしき伝統への不服従の物語と読むこともまた、可能なのである。
結
これまで、われわれは、『砂の子ども』、『聖なる夜』のテクストを愚直なまでに読み解くことで、この二作に様々な読解の可能性が開かれることを示した。第一章では『砂の子ども』に焦点を絞り、主人公が「自己への回帰」に至る軌跡を辿るべく、日記をはじめとする遺されたエクリチュールを細かに分析し、執筆行為が一種の転換行為であること――書くことが「過去の清算」、および「人生の生き直し」に有益であることを明らかにした。第二章では『聖なる夜』に目を移し、主人公に加え、コンスュルという新たな登場人物による執筆行為の分析を通して、失明とエクリチュール、また光と解放という新たなテーマを見出した。第三章では、物語において果たす「鏡」の役割をめぐり、議論を展開することで、第一節、第二章とは異なる観点からエクリチュールのもたらす効果を示した。
序章で断ったように、本稿では、可能な限りテクスト外の情報や作品の書かれたコンテクストを括弧に入れ、あくまでフランス語で書かれた文学作品として二作と向き合ってきたが、その作業は、分析過程で直接扱わずにおいた様々な他のテーマも、ベン=ジェルーンの作品とやはり密接に関係していることを再確認することへと導いた。
例えば、第三章でも触れた、ベン=ジェルーンがその作品において頻繁に描くモロッコに根強く残る伝統、いわゆる男性中心社会とイスラームをめぐる複雑な関係については、さらに別途論じるべき重要な主題であることがわかった。澤田氏は『気狂いモハ、賢人モハ』の「訳者解説」において、ベン=ジェルーンの描く小説世界には「イスラームを標榜し、それを隠れ蓑とする支配者層」に対する強い批判がみてとれると述べている[160]。その一方で『子どもたちと話す イスラームってなに?』の解説を務めた鵜飼氏は、澤田氏とは対照的な主張を展開している。彼は「物質文化が提供するあらゆる欲望充足の機会を罪として排斥する潔癖症」がイスラームの名のもとで広まっていると述べ、現代の西欧中心主義――もはやイスラームが「中心的役割を果たしえない文化」――に対する不満が、ムスリムの過激な排斥思想を生み出していると説明している[161]。こうした主張は、ベン=ジェルーン自身の思想的立場が、作品を跨ぎながら絶えず変化していることを示しているともいえるだろう。
その他に、第三章にて言及した通り、動詞jouerの分析を出発点に、われわれは、この作品が誘発するジェンダーの主題へと、議論をさらに展開していくことも可能である。作中にて頻繁に言及される「財産(l’héritage)」をめぐる問題を例に挙げてみよう。物語においては、相続や跡継ぎといった家名の存続に関わる問題が、主人公やその父親に「男女を隔てる壁」を虚しくもしきりに意識させていた。ところが『フランス法辞典』や『イスラーム辞典』を参照すると、実際には相続人(héritier, ière)が「摘出親族または自然親族で法律によって死者の相続に誘致される者[162]」を意味し、またクルアーンが「女性血族や配偶者や未成年[163]」にも相続分を与えることを明記していることがわかる。作品の舞台として描かれるフランス植民地時代のモロッコが、歴史的事実としてのモロッコに忠実であるかはさほど問題ではなく、むしろ留意すべきは、作品の持つフィクションとしての力が、生々しい今日的なジェンダーの問題を浮き彫りにし、読者に対し、根源的な思考を促すことに成功しているということであろう。
ベン=ジェルーンの作品ひとつを取り上げても、それにアプローチする研究方法は無限に広がっているのだ。ベン=ジェルーンの生み出した小説世界が提起するこうした様々な問題意識は、来るべき「読解」を待ち望んでいるようだ。
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注
[1] 本稿は2022年12月15日に立教大学文学部に提出され、2023年1月30日に審査を受けた卒業論文に加筆修正を施したものである。
[2] タハール・ベン=ジェルーン、『聖なる夜』、 紀伊國屋書店、菊池有子訳、1996年。
[3] タハール・ベン=ジェルーン、『砂の子ども』、紀伊國屋書店、菊池有子訳、1996年。
[4] 本稿ではイマージュという多義的な重要語を、虚像――鏡に映る像、また実際とは異なる見せかけの姿という意味で用いる。
[5] 例えば、以下の二つの論文は、ベン=ジェルーンの作品群における「牢獄」と「解放」というテーマについて論じたものであり、そこから現代のマグレブ社会におけるイスラームの実践が批判的に分析されている。Ummay Parveen Sahaduth, « Tahar Ben Jelloun : de l’univers carcéral à la libération », 2011, https://uir.unisa.ac.za/bitstream/handle/10500/4894/dissertation_sahaduth_up.pdf?sequence=1&isAllowed=y. Djaouida Hibbazthi, « Présentation de l’enfermement : le moi perdu entre une liberté mentalement et un isolement corporel dans L’enfant de sable de Tahar ben Jelloun », 2019, http://archives.univ-biskra.dz/bitstream/123456789/15116/1/HEBBAZTHI_DJAOUIDA.pdf.
[6] タハール・ベン=ジェルーン、『聖なる夜』、 前掲書、「訳者あとがき」、 p.196。
[7] 例えば、以下の論文では、ベン=ジェルーンの作品とそれらが提示する問題意識が「フランス語マグレブ文学」という括りの中で分析されている。石川清子、「フランスで「移民」が/について書くこと ――マグレブ移民を巡る文学」、『立命館言語文化研究』29巻1号、立命館大学国際言語文化研究所、2017年、pp.15-30。
[8] 石川清子は、例えば、ベン=ジェルーンにとって「フランス語で書くこと」は、とりわけ「イスラーム社会でタブーとして隠蔽されている性的なものを表に曝し、秩序を攪乱しながら抑圧された身体性を回復しようとする試み」となると述べている。石川清子、「フェラウン、ベン・ジェルーン、ジェバールの自伝的物語についての覚書」、『立教大学:フランス文学』29号、立教大学文学研究室、2000年、pp.95-124。また、『最初の愛はいつも最後の愛』(Le Premier Amour est Toujours le Dernier, 1995)の翻訳を務めた堀内ゆかりは、その「あとがき」において、「マガジン・リテレール」誌(1995年2月号)に掲載された「なぜフランス語で書くのか」という問いに対するベン=ジェルーンの回答を引用している。それによれば、ベン=ジェルーンは、母語であるアラビア語とは異なる、もうひとつの言葉であるフランス語に「住み着く」ことによって、「多少の自由と大胆さ」が得られると述べている。タハール・ベン=ジェルーン、『最初の愛はいつも最後の愛』、「訳者あとがき」、紀伊國屋書店、堀内ゆかり訳、1999年、pp.191-192。
[9] モロッコ史に関する著作としては、例えば、以下のものが挙げられる。佐藤次高編、『西アジア史〈I〉:アラブ』、山川出版、2002年。鳥羽美鈴、『多様性の中のフランス語:フランコフォニーについて考える』、 関西学院大学出版会、2012年。
[10] タハール・ベン=ジェルーン、『子どもたちと話す:イスラームってなに?』、現代企画室、藤田真利子訳、2002年。
[11] タハール・ベン=ジェルーン、『おとなは子どもにテロをどう伝えればよいのか』、柏書房、西山教行訳、2022年。
[12] 中田考の著作には、例えば、以下のものが挙げられる。中田考、『日亜対訳クルアーン:「付」訳解と正統十読誦注解』、作品社、2014年。中田考、『イスラーム入門:文明の共存を考えるための99の扉』、集英社、2017年。
[13] 松山洋平、『イスラーム思想を読みとく』、筑摩書房、2017年。
[14] 小杉泰の著作には、例えば、以下のものが挙げられる。小杉泰、『イスラームとは何か:その宗教・文化・社会』、講談社、1994年。小杉泰、『イスラームを読む:クルアーンと生きるムスリムたち』、大修館書店、2016年。
[15] タハール・ベン=ジェルーン、『気狂いモハ、賢人モハ』、現代企画室、澤田直訳、1996年。
[16] タハール・ベン=ジェルーン、『あやまちの夜』、紀伊國屋書店、菊池有子訳、2000年。
[17] タハール・ベン=ジェルーン、『出てゆく』、早川書房、香川由利子訳、2009年。
[18] 例えば、アラブ人に対する露骨な人権侵害や日常に潜む差別意識を検証し、フランスの抱える「移民問題」について論じたベン=ジェルーンの著作、『歓迎されない人々:フランスのアラブ人』(Hospitalité française, 1984)の翻訳を務めた高橋治男と相磯佳正は、その「訳者あとがき」において、ベン=ジェルーンが当書の執筆に至った経緯を以下のように説明しているが、本稿では、文学テクストそのものの価値を明らかにすることに重点を置くため、このような、個々の作品の裏に隠された著者の心情や意図については極力議論しないこととする。「1983年7月9日、9歳のアルジェリア少年、タウフィック・ウアンネスがパリ市交通公団(RATP)の警備員に殺害されるや、ベン・ジェルーンは、この人権蹂躙のフランス、他者を拒絶するためには殺人をも辞さないフランスと対決すべく、筆をとった。いや、それだけではない。犯行を容認しようとする雰囲気や沈黙をきめこむ人々に対して警告を発し、フランスの真価がどこにあるのかを思い出させるために、本書を書きはじめたのである。彼としては憤りと悲しみと失望で、まさしく断腸の思いであったに違いない。」タハール・ベン=ジェルーン、『歓迎されない人々:フランスのアラブ人』、「訳者あとがき」、晶文社、高橋治男・相磯佳正訳、1994年、pp.200-201。
[19] 例えば、ジェンダーやフェミニズムをめぐる議論については、以下の著作が参照できる。ジュディス・バトラー、『ジェンダー・トラブル:フェミニズムとアイデンティティの攪乱』、青土社、竹村和子訳、2018(1999)年。ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク、『サバルタンは語ることができるか』、みすず書房、上村忠男訳、1998年。
[20] タハール・ベン=ジェル-ン、『砂の子ども』、前掲書、「訳者あとがき」、p.208。
[21] Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Points », 2020(1985), p.21, « Cet enfant sera accueilli en homme qui va illuminer de sa présence cette maison terne ». 本稿における日本語訳は、菊池有子による『砂の子ども』(前掲書)の既訳をもとに、神田大吾による「これは翻訳ではない ――『砂の子ども』誤訳の分析――」(『人文学科論集』33号、茨城大学人文学部、2000年、pp.103-131)、および「これは翻訳ではない ――『砂の子ども』誤訳の分析――(2)」(『人文学科論集』34号、茨城大学人文学部、2000年、pp.73-96)を参照しつつ、適宜改変する。そのため、邦訳の頁数は示さない。
[22] 『完訳:千一夜物語』全13巻、岩波書店、豊島与志雄・渡辺一夫・佐藤正彰・岡部政孝訳、1988年。
[23] ファーティマについては後述するが、彼女はアフマドの従姉妹であり、また彼の強い希望により、後に妻として迎えられる人物である。
[24] Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Points », p.60, « Notre conteur prétend lire dans un livre qu'Ahmed aurait laissé. Or, c'est faux ! Ce livre, certes, existe. Ce n'est pas ce vieux cahier jauni par le soleil que notre conteur a couvert avec ce foulard sale. »
[25] Ibid., p.60, « Le journal d'Ahmed, c'est moi qui l'ai ; c'est normal, je l'ai volé le lendemain de sa mort. Le voilà, il est couvert d'une gazette de l'époque, vous pouvez lire la date... Ne coïncide-t-elle pas avec celle de sa mort ? Notre conteur est très fort ! Ce qu'il nous a lu est digne de figurer dans ce cahier. »
[26] Ibid., p.116, « Le conteur est mort de tristesse. On a trouvé son corps près d'une source d'eau tarie. Il serrait contre sa poitrine un livre, le manuscrit trouvé à Marrakech et qui était le journal intime d'Ahmed-Zahra. La police laissa son corps à la morgue le temps réglementaire, puis le mit à la disposition de la faculté de médecine de la capitale. Quant au manuscrit, il brûla avec les habits du vieux conteur. On ne saura jamais la fin de cette histoire. Et pourtant une histoire est faite pour être racontée jusqu'au bout. »
[27] Ibid., p.123, « Je connais la fin de cette histoire. J'ai trouvé le manuscrit que nous lisait le conteur. Je vous l'apporterai demain. Je l'avais racheté aux infirmiers de la morgue. »
[28] Ibid., p.11, « Le conteur assis sur la natte, les jambes pliées en tailleur, sortit d'un cartable un grand cahier et le montra à l'assistance. Le secret est là, dans ces pages, tissé par des syllabes et des images. »
[29] Ibid., p.12, « (…), le livre du secret, enjambé par une vie brève et intense, écrit par la nuit de la longue épreuve, gardé sous de grosses pierres et protégé par l'ange de la malédiction. Ce livre, mes amis, ne peut circuler ni se donner. Il ne peut être lu par des esprits innocents. La lumière qui en émane éblouit et aveugle les yeux qui s'y posent par mégarde, sans être préparés. Ce livre, je l'ai lu, je l'ai déchiffré pour de tels esprits. Vous ne pouvez y accéder sans traverser mes nuits et mon corps. Je suis ce livre. Je suis devenu le livre du secret ; j'ai payé de ma vie pour le lire. Arrivé au bout, après des mois d'insomnie, j'ai senti le livre s'incarner en moi, car tel est mon destin. »
[30] Ibid., p.12, « Pour vous raconter cette histoire, je n'ouvrirai même pas ce cahier, d'abord parce que j'en ai appris par cœur les étapes, et ensuite par prudence. »
[31] 大塚和夫ほか編、『岩波イスラーム辞典』、岩波書店、2002年、p.862(フルール)、p.765(ハッラージュ)。
[32] これらの他に、アフマドの手記を指すと思われる語にébauche、manuscritが挙げられるが、上記の四つと比べて使用される頻度が低いので、ここでは触れない。また、作中にはouvrageという語が三度登場するが、いずれもアフマドのエクリチュールを指しているかは定かではない。Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Kindle », 2016(1985).
[33] Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Points », p.96, « J'ai su que le retour à soi allait prendre du temps, qu'il fallait rééduquer les émotions et répudier les habitudes. »
[34] Ibid., p.11, « Il avait entendu dire un jour qu’un poète égyptien justifiait ainsi la tenue d’un journal ».
[35] Ibid., p.11, « De si loin que l’on revienne, ce n’est jamais que soi-même. Un journal est parfois nécessaire pour dire que l’on a cessé d’être. »
[36] この引用箇所は、ロラン・バルトが『小説の準備』(La préparation du roman, 2003)において述べている、執筆行為による過去の「断絶」、およびエクリチュールが「新生」の「媒介物」として機能するという主張を想起させる。ロラン・バルト、『小説の準備:コレージュ・ド・フランス講義1978-1979年度と1979-1980年度(ロラン・バルト講義集成)』、筑摩書房、石井洋二郎訳、2006年、pp.352-356。
[37] 日記のもたらす効果については、例えば、自伝との差異という観点からフィリップ・ルジュンヌが論じている。詳しくは、以下を参照のこと。フィリップ・ルジュンヌ、『フランスの自伝:自伝文学の主題と構造』、法政大学出版局、小倉孝誠訳、1995年。
[38] 作中には日記を意味するjournalという語が十一回登場するが、そのうちintimeという形容詞を伴うものは二つである。Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Kindle ».
[39] Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Points », p.27, « On avait rarement vu un homme si heureux vouloir communiquer et partager sa joie. Il acheta une demi-page du grand journal national ; y publia sa photo avec en dessous ce texte : Dieu est clément
Il vient d'illuminer la vie et le foyer de votre serviteur et dévoué potier Hadj Ahmed Souleïmane. Un garçon - que Dieu le protège et lui donne longue vie - est né jeudi à 10 h. Nous l'avons nommé Mohamed Ahmed. Cette naissance annonce fertilité pour la terre, paix et prospérité pour le pays. Vive Ahmed ! Vive le Maroc !
Cette annonce dans le journal fit beaucoup jaser. On n'avait pas habitude d'étaler ainsi publiquement sa vie privée. »
[40] Ibid., p.27, « Il acheta une demi-page du grand journal national ».
[41] Ibid., p.27, « Dieu est clément ».
[42] ベアトリス・ディディエは『日記論』(Le journal intime, 1987)の 「日記の作者の言説は誰に向けられているのか」をめぐる議論の中で、日記と手紙の類似性について触れている。詳しくは、以下を参照のこと。ベアトリス・ディディエ、『日記論』、松籟社、西川長夫・後平隆共訳、1987年、pp.197-198。
[43] 講釈師は、物語の冒頭から « Pour vous raconter cette histoire, je n'ouvrirai même pas ce cahier, d'abord parce que j'en ai appris par cœur les étapes, et ensuite par prudence » (L’enfant de sable, p.12) としてノートを閉じていたが、浴場の記述を参照するため、はじめてこれを開く。Ibid., p.29, « Vous savez combien ce lieu[le bain maure] nous a tous fortement impressionnés quand nous étions gamins. Nous en sommes tous sortis indemnes..., du moins apparemment. Pour Ahmed ce ne fut pas un traumatisme, mais une découverte étrange et amère. Je le sais parce qu'il en parle dans son cahier. Permettez que j'ouvre le livre et que je vous lise ce qu'il a écrit sur ces sorties dans le brouillard tiède : (…) ».
[44] Loc. Cit.
[45] Ibid., pp.29-30, « En vérité, je préférais aller au bain avec mon père. Il était rapide et il m'évitait tout ce cérémonial interminable. Pour ma mère, c'était l'occasion de sortir, de rencontrer d'autres femmes et de bavarder tout en se lavant. Moi, je mourais d'ennui. J'avais des crampes à l'estomac, j'étouffais dans cette vapeur épaisse et moite qui m'enveloppait. »
[46] Ibid., p.31, « Et, pour toutes ces femmes, la vie était plutôt réduite. C'était peu de chose : la cuisine, le ménage, l'attente et une fois par semaine le repos dans le hammam. J'étais secrètement content de ne pas faire partie de cet univers si limité. »
[47] Ibid., p.32, « J'étais gêné et j'avais peur parfois que mon père se chargeât de me laver comme il aimait de temps en temps le faire. »
[48] Ibid., pp.32-33, « (…) elle s'inquiétait pour ma poitrine qu'elle pansait avec du lin blanc ; elle serait très fort les bandes de tissu fin au risque de ne plus pouvoir respirer. Il fallait absolument empêcher l'apparition des seins. Je ne disais rien, je laissais faire. Ce destin-là avait l'avantage d'être original et plein de risques. Je l'aimais bien. »
[49] Ibid., pp.33-34, « J'allais à la mosquée. J'aimais bien me retrouver dans cette immense maison où seuls les hommes étaient admis. Je priais tout le temps, me trompant souvent. Je m'amusais. La lecture collective du Coran me donnait le vertige. Je faussais compagnie à la collectivité et psalmodiais n'importe quoi. Je trouvais un grand plaisir à déjouer cette ferveur. Je maltraitais le texte sacré. Mon père ne faisait pas attention. L'important, pour lui, c'était ma présence parmi tous ces hommes. »
[50] Ibid., p.38, « les pages blanches ». この他に本文中には、« un espace blanc, des pages nues laissées ainsi en suspens » (ibid., p.36)、« un tissu blanc » (ibid., p.35) といった表現が確認できる。
[51] Ibid., p.40, « résistance du corps au nom ».
[52] Ibid., p.40, « Ses exigences, je les connais : éviter la colère, les cris, l'extrême douceur, le murmure bas, bref l'irrégularité. Je suis régulier. Et je me tais pour piétiner cette image qui m'insupporte. Ô mon Dieu, que cette vérité me pèse ! dure exigence ! dure la rigueur. Je suis l'architecte et la demeure ; l'arbre et la sève ; moi et un autre ; moi et une autre. »
[53] Ibid., p.40, « (…) il suffit que je parle pour que la vérité s’éloigne ».
[54] Ibid., p.43, « un jeune homme cultivé ».
[55] Ibid., p.44, « Ma condition, non seulement je l'accepte et je la vis, mais je l’aime. Elle m'intéresse. Elle me permet d'avoir les privilèges que je n'aurais jamais pu connaître. Elle m'ouvre des portes et j'aime cela, même si elle m'enferme ensuite dans une cage de vitres. »
[56] Ibid., p.44, « J'ai lu tous les livres d'anatomie, de biologie, de psychologie et même d'astrologie. J'ai beaucoup lu et j'ai opté pour le bonheur. La souffrance, le malheur de la solitude, je m'en débarrasse dans un grand cahier. En optant pour la vie, j'ai accepté l'aventure. Et je voudrais aller jusqu'au bout de cette histoire. Je suis homme. »
[57] Ibid., pp.44-45, « - (…) Père, tu m’as fait homme, je dois le rester. »
[58] Ibid., p.45, « Il lisait effectivement beaucoup et écrivait la nuit. »
[59] Ibid., p.45, « -J’ai choisi celle qui sera ma femme. »
[60] Ibid., p.46, « -Fatima, ma cousine, la fille de mon oncle, le frère cadet de mon père, celui qui se réjouissait à la naissance de chacune de tes filles... »
[61] Ibid., p.46, « - (…) Dans cette famille, les femmes s’enroulent dans un linceul de silence..., elles obéissent..., mes sœurs obéissent ; toi, tu te tais et moi j’ordonne ! »
[62] Ibid., p.46, « Comment as-tu fait pour n’insuffler aucune graine de violence à tes filles ? Elles sont là, vont et viennent, rasant les murs, attendant le mari providentiel..., quelle misère ! »
[63] Ibid., p.47, « Je reviens au livre. L’encre est pâle. Des gouttes d’eau – peut-être des larmes – ont rendu cette page illisible. J’ai du mal à la déchiffrer ».
[64] Ibid., p.48, « Dans les bras endoloris de mon corps, je me tiens, je descends au plus profond comme pour m'évader. Je me laisse glisser dans une ride et j'aime l'odeur de cette vallée. Je sursaute au cri de la jument envoyée par l'absent. Elle est blanche et je me cache les yeux. Mon corps lentement s'ouvre à mon désir. Je le prends par la main. Il résiste. La jument cavale. Je m'endors, enlacé par mes bras. »
[65] 詳しくは、以下を参照のこと。『聖なる夜』における「結婚」のアレゴリーが分析されており、la jumentについても言及されている。神田大吾、「『聖なる夜』をめぐって ――言葉と言葉が出会う場所――」、『人文学科論集』32号、茨城大学人文学部、1999年、pp.79-88。
[66] Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Points », p.72.
[67] Ibid., p.52, « Elles ne sont pas signées ou alors la signature y est absolument illisible. Parfois c'est une croix, d'autres fois ce sont des initiales ou des arabesques. Sont-elles d'un correspondant ou d'une correspondante anonyme ? Ou sont-elles imaginaires ? »
[68] Ibid., p.68, « Nous sommes femmes avant d'être infirmes, ou peut-être nous sommes infirmes parce que femmes..., je sais notre blessure... Elle est commune... Je m'en vais... Je suis ta femme et tu es mon épouse... Tu seras veuf (…) ».
[69] Ibid., p.74, « Cette lettre le contraria. Il se sentait jugé et sévèrement critiqué. Il fut tenté d'interrompre cette correspondance mais l'envie de comprendre et d'expliquer ce qui se passait en lui l'emporta sur le silence et l'orgueil. »
[70] Ibid., p.77, « Vous ne croyez peut-être pas à ce genre de communication, mais j'ai tout de suite su que j'avais affaire à une personne d'exception et qui était déplacée hors de son être propre, hors de son corps. »
[71] Ibid., p.52, « J’ai trouvé votre lettre sous la pierre à l’entrée du jardin. » Ibid., p.88, « Sur le plateau du petit déjeuner, une feuille de papier pliée en quatre. Un signe de mon ami lointain ».
[72] Ibid., p.82, « (…) il est encore temps pour ramener au désir qui est le sien. »
[73] Ibid., p.96, « J'ai su que le retour à soi allait prendre du temps, qu'il fallait rééduquer les émotions et répudier les habitudes. »
[74] Ibid., p.96, « Je vais partir sans mettre de l’ordre, sans prendre de bagages, juste de l’argent et ce manuscrit, unique trace et témoin de ce que fut mon calvaire. »
[75] Ibid., p.96, « Il est à moitié noirci. J’espère écrire des récits plus heureux dans l’autre moitié. »
[76] Ibid., p.98, « J’ai du mal à l’écrire. », « J’ai honte de l’avouer. »
[77] Ibid., p.104, « On va changer le style du numéro : tu te déguiseras en homme à la première partie du spectacle, tu disparaîtras cinq minutes pour réapparaître en femme fatale... »
[78] Ibid., p.131, « Je sais que mon destin est voué à être brutalement interrompu parce que j'ai, un peu malgré moi, joué à tromper Dieu et ses prophètes. »
[79] Ibid., p.108 « Tantôt homme, tantôt femme, notre personnage avançait dans la reconquête de son être. »
[80] Ibid., p.103, « tout baigne dans la dérision, sans réelle ambiguïté. »
[81] Ibid., p.10, « j’espérais beaucoup en savoir plus sur moi-même. »
[82] Ibid., p.106 « Je n’avais pas d’appréhension. Au contraire, je jubilais, heureuse, légère, rayonnante. »
[83] Ibid., p.108, « Il dansait et chantait. Son corps trouvait une joie et un bonheur d'adolescent amoureux. Elle se cachait pour écrire. La vieille la surveillait. Abbas la protégeait. Tantôt homme, tantôt femme, notre personnage avançait dans la reconquête de son être. »
[84] Ibid., p.110, « Elle ne contrariait jamais la vieille et gardait précieusement pour la nuit ses pensées. »
[85] Ibid., p.110, « Elle écrivait en cachette, pendant le sommeil des autres, notait tout sur des cahiers d’écolier. »
[86] Tahar Ben Jelloun, La nuit sacrée, Seuil, « Points », 2014(1987), p.20, « la vingt-septième du mois de ramadan, nuit de la « descente » du Livre de la communauté musulmane, où les destins des êtres sont scellés ».
[87] 本文中に「私」の日記が参照される箇所はない。「私」の手紙に関しては、獄中でコンスュルに宛てて書かれたものが二度引用される。Tahar Ben Jelloun, La nuit sacrée, Seuil, « Kindle », 2016(1987).
[88] Tahar Ben Jelloun, La nuit sacrée, Seuil, « Points », p.57, « mon premier homme était sans visage ». 本稿における日本語訳は、菊池有子による『聖なる夜』(前掲書)の既訳をもとに、適宜改変する。そのため、邦訳の頁数は示さない。
[89] アシーズとコンスュルが実際に血縁関係にあるかどうかは定かではなく、「『聖なる夜』をめぐって――言葉と言葉が出会う場所――」(前掲論文)においても、その真偽が問われているが、本稿ではその点について議論しない。
[90] コンスュルは「私」を « notre Invitée » (La nuit sacrée, p.73) と呼ぶ。
[91] 神田大吾、「『聖なる夜』をめぐって ――言葉と言葉が出会う場所――」、p.83。
[92] Tahar Ben Jelloun, La nuit sacrée, Seuil, « Points », 2014(1987), p.61, « -T’occuper du Consul. -Est-il malade ? -Non, pas tout à fait. Il est aveugle. Il a perdu la vue à l’âge de quatre ans, après une fièvre qui faillit l’emporter. »
[93] コンスュルが実際に盲目であるかどうかは定かではなく、「『聖なる夜』をめぐって ――言葉と言葉が出会う場所――」(前掲論文)においても、その真偽が問われているが、本稿ではその点について議論しない。
[94] Tahar Ben Jelloun, La nuit sacrée, Seuil, « Points », p.72, « Propre, ordonnée, agréable, elle était décorée avec goût. » Ibid., p.72, « À côté du lit une petite bibliothèque de livres en braille. »
[95] Ibid., p.72, « Au fond de la pièce une table sur laquelle était posée une machine à écrire d'où dépassait une page à moitié dactylographiée. »
[96] Ibid., p.72, « Je me retins pour ne pas lire ne serait-ce que la première ligne. J'étais très curieuse. Je m'éloignai puis essayai de déchiffrer quelques mots. »
[97] Ibid., p.72, « Je rougis. J'avais honte. Je m'en voulais d'avoir découvert ce secret. Le Consul tenait un journal ».
[98] Ibid., p.79, « Il y a une pénombre où une bonne vue pourrait à peine distinguer un fil blanc d’un fil noir. »
[99] Ibid., p.80, « Ils étaient assis au milieu, les jambes écartées, et mangeaient des œufs durs et des olives rouges. C'était la tradition. Elle me tendit un œuf. Il n'était pas assez cuit. Le jaune dégoulinait entre mes doigts. J'eus un début de nausée. »
[100] Ibid., pp.80-81, « Ce que je vis en arrivant à la chambre médiane n'était pas une vision : la sœur, avec juste une serviette autour de la taille, était assise sur le Consul étendu à plat ventre. Elle le massait en étirant ses membres, accompagnant ses gestes de petits cris qui n'étaient pas des cris de plaisir mais ressemblaient quand même au bruit de baisers rentrés. »
[101] Ibid., p.81, « Je n’avais aucun désir. Il me suffisait de regarder l'Assise étalée au milieu du hammam pour avoir de nouveau la nausée. Je me lavai assez vite et sortis vers la salle de repos. »
[102] Ibid., p.82, « Il eut l’air contrarié quand la sœur lui apprit que je m'étais retirée assez vite du hammam. »
[103] Ibid., p.82, « Le Consul ne dormait pas cette nuit. Je l’entendis taper à la machine. »
[104] Ibid., p.82, « Et moi j'attendais le matin. Plusieurs fois j'eus une grande envie de pousser la porte du Consul, de m'asseoir dans un coin et de le regarder écrire. »
[105] Ibid., p.82, « Peut-être que le Consul avait l’intention de m’introduire dans leur secret et de m’offrir une part de cette complicité qui les liait tous les deux. »
[106] 「私」は、はじめてアシーズの浴場を訪れた際に、二人の魔女に皮を剥がされそうになり、またコンスュルと訪れた際にも、天井から吊された母の顔をした亡霊を目撃している。
[107] Ibid., p.106, « Je dois vous avouer que je me suis remis à écrire depuis que vous êtes dans cette maison. »
[108] Ibid., p.91, « Ce gosse était la lumière et la grâce d’une maison où on ne riait jamais et on ne s’amusait jamais. »
[109] Ibid., p.106, « -Où allez-vous ? Je ne veux plus que vous vous occupiez de moi comme une femme de ménage. Plus de bassine, plus de massage des pieds. C'est fini. Vous méritez beaucoup mieux. En revanche, je tiens à vous avoir comme partenaire dans mes réflexions. »
[110] Ibid., p.106, « Vous savez, je ne suis pas un homme simple. J'essaie de faire de la cécité un atout et je ne la considère pas comme une infirmité. Pour cela je suis parfois injuste. Je fais des choses où je prends des risques. Vous devez vous demander ce que j‘écris. Je vous ferai lire un jour certaines pages. Mon univers est en grande partie intérieur. Je le meuble avec mes propres créations ; je suis obligé d'avoir recours à ce qui habite ma chambre noire. Si je vous disais tout ce qu'elle contient vous seriez bien étonnée et même embarrassée. C'est mon secret. Personne n'y a accès, pas même ma sœur. Moi-même, il m'arrive d'avoir peur de ce que j'en sais. J’efface de mon écran les objets qui viennent jusqu’à moi et me bousculent. »
[111] 言うまでもなく、la chambre noireが暗箱(カメラ・オブスキュラ)をも意味するのは、« La chambre était trop obscure » (ibid., p.131) からも明らかである。
[112] Ibid., p.107, « Quand il avait mal à la tête, il devenait très fragile et perdait tous ses repères. Là, il sentait son état d'infirmité. »
[113] Ibid., p.110, « Je voulais l'accompagner chez les femmes. L'Assise n'en saurait rien. Lui me guiderait. Cette idée saugrenue, mais dont j'aimais l'audace, me plaisait. J'étais curieuse. »
[114] Ibid., p.113, « De la main je fis partir la patronne et la jeune femme ». Ibid., p.114, « Tout se passa dans le silence. »
[115] Ibid., p.117, « Nous nous jouâmes la comédie du bordel pendant quelque temps, plus par envie de mise en scène dans le silence et le secret que par crainte d'éveiller les soupçons de l'Assise. »
[116] Ibid., p.125, « -Viens, race de chienne, voleuse, putain, viens voir qui t'attend en bas. Tu as tué tout le monde et tu es partie avec l'héritage… » Ibid., p.125, « Je tombai et me retrouvai en bas nez à nez avec mon oncle, le père de Fatima, l'avare dont mon père m'avait dit de me méfier. »
[117] Ibid., p.132, « Je montai dans la chambre du Consul, lequel avait l'air atterré, désemparé, sans réaction. J'allai directement au tiroir du bas. Je chargeai le revolver et descendis sans me presser. Arrivée à un mètre de l'oncle, je lui tirai tout le chargeur dans le ventre. »
[118] Ibid., p.132, « Ce fut elle qui fit faire des recherches sur vous dans votre ville natale. Elle disait qu'elle voulait vous démasquer. »
[119] Ibid., p.126, « Sa jalousie nous a ruinés ».
[120] Ibid., p.128, « En me retrouvant entre quatre murs je réalisai combien ma vie d'homme déguisé ressemblait à une prison. J'étais privée de liberté dans la mesure où je n'avais droit qu'un seul rôle. »
[121] Ibid., p.129, « plongé dans une nuit noire, longue et profonde ».
[122] Ibid., p.131, « L'enveloppe était déchirée. Je retirai mon bandeau. La chambre était trop obscure pour permettre de déchiffrer la lettre. Je montai sur le lit et enlevai le morceau de tissu noir que j'avais accroché à la fenêtre. J'obtins un petit filet de lumière et me mis à lire. Mes jambes tremblaient et mes yeux avaient du mal à s'ouvrir entièrement. J'attendis un moment. »
[123] Ibid., p.136, « Les visites du Consul s'espaçaient de plus en plus. Il préférait m'écrire et me répétait dans presque chaque lettre combien il souffrait de me voir dans cet état de réclusion et de soumission. Je levais ce malentendu dans une lettre que j'avais mis longtemps à rédiger et encore plus de temps à me décider à lui adresser. Je ne pouvais me faire à l'idée que cette lettre ne serait pas lue directement par lui, mais par une tierce personne. J'espérais la lui lire moi-même au parloir, mais des oreilles se penchaient sur nous. J'aurais aimé savoir écrire en braille. J'avais fait une demande à la direction de la prison. Je ne reçus aucune réponse. Ils avaient dû se moquer de moi. Aujourd'hui j'aurais utilisé ces petits magnétophones, mais à l'époque les cassettes n'existaient pas encore. Je dus réécrire plusieurs fois ma première lettre d'amour. »
[124] Ibid., p.142, « Tu as pillé la maison et emporté l’héritage. »
[125] Ibid., p.142, « une petite circoncision ».
[126] Ibid., p.144, « Perdu vos traces. Suis dans le noir et ne vous vois plus. Malade. Malade. Le corps blessé. Vous êtes ma seule lumière. Merci. »
[127] Ibid., p.153, « Seule votre voix anime mon corps et j’écris. »
[128] Ibid., p.153, « Même effrayé, je continue de transcrire ce que vous me contez. »
[129] Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Points », 2020(1985), p.40, « (…) je dois en[la voix] maîtriser le rythme, le timbre et le chant, et la garder dans la chaleur de mes viscères. »
[130] Tahar Ben Jelloun, La nuit sacrée, Seuil, « Points », 2014(1987), p.153, « Je vous entends et mes mains vous cherchent. Mais je vous sais loin, sur un autre continent, plus proche de la lune quand elle est pleine que de mon regard. Et je vous vois, tantôt homme, tantôt femme, superbe créature de l'enfance, échappant à l'amitié, à l'amour. Vous êtes hors de toute atteinte, être de l'obscur, ombre dans la nuit de mes souffrances. »
[131] 光、および月は、クルアーンの中でアッラーの徴として表現される。詳しくは、以下を参照のこと。大塚和夫ほか編、『岩波イスラーム辞典』、岩波書店、2002年、p.645(月)、p.805(光)。Janine et Dominique Sourdel, Dictionnaire historique de l’Islam, Presses universitaires de France, 2004, p.505 (la lumière divine).
[132] Tahar Ben Jelloun, La nuit sacrée, Seuil, « Points », p.156, « Après cela je renonçai au bandeau sur les yeux et à mes errances dans les ténèbres. Je commençais à être obsédée par l'idée d'une grande lumière qui viendrait du ciel ou de l'amour, elle serait tellement forte qu'elle rendrait mon corps transparent, qu'elle le laverait et lui redonnerait le bonheur d'être étonné, la naïveté de connaître des choses dans leur commencement. »
[133] 鏡が多出する作品といえば、例えば、マリヴォーの有名な戯曲『いさかい』が挙げられる。登場人物のひとりであるエグレは、鏡、およびそれと似た役割を果たすもの(肖像や水面に映し出されるイマージュ等)を通して自身の美しさに気づくと、自分以外の人間たちに対してもその美貌を主張し始める。鏡を手にしたエグレは、ナルティシズムに陥るだけでなく、「他者の視線」を絶えず意識するようになるのである。ピエール・ド・マリヴォー、『新マリヴォー戯曲集Ⅰ(『いさかい』)』、大修館書店、井村順一ほか訳、1989年。
[134] 『砂の子ども』にはmiroirとglaceがそれぞれ三十回と一回、『聖なる夜』には五回と三回、登場する。Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Kindle ». Tahar Ben Jelloun, La nuit sacrée, Seuil, « Kindle ».
[135] Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Points », p.32, « Après j’avais tout le temps pour me promener comme un diable entre les cuisses de toutes les femmes. J’avais peur de glisser et de tomber. Je m’accrochais à ces cuisses étalées et j’entrevoyais tous ces bas-ventres charnus et poilus. Ce n’était pas beau. C’était même dégoûtant. Le soir je m'endormais vite car je savais que j'allais recevoir la visite de ces silhouettes que j’attendais, muni d'un fouet, n'admettant pas de les voir si épaisses et si grasses. Je les battais car je savais que je ne serais jamais comme elles ; je ne pouvais pas être comme elles... C'était pour moi une dégénérescence inadmissible. Je me cachais le soir pour regarder dans un petit miroir de poche mon bas-ventre : il n'y avait rien de décadent ».
[136] ジャック・ラカンの、かの有名な「鏡像段階」、あるいは「鏡」をめぐる議論には、序論で断った通り、ここでは立ち入らないこととするが、参考文献として以下の書籍が挙げられる。ジャック・ラカン、『アンコール』、講談社、藤田博史・片山文保訳、2019年。新宮一成、『ラカンの精神分析』、講談社、1995年。新宮一成・立木康介編、『知の教科書 フロイト=ラカン』、講談社、2005年。
[137] Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Points », p.50, « Je n'interroge personne car mes questions n'ont pas de réponse. Je le sais parce que je vis des deux côtés du miroir. »
[138] Ibid., pp.38-39, « Cette vérité, banale, somme toute, défait le temps et le visage, me tend un miroir où je ne peux me regarder sans être troublé par une profonde tristesse, pas de ces mélancolies de jeunesse qui bercent notre orgueil et nous couchent dans la nostalgie, mais une tristesse qui désarticule l'être, le détache du sol et le jette comme élément négligeable dans un monticule d'immondices ou un placard municipal d'objets trouvés que personne n'est jamais venu réclamer, ou bien encore dans le grenier d'une maison hantée, territoire des rats. Le miroir est devenu le chemin par lequel mon corps aboutit à cet état, où il s'écrase dans la terre, creuse une tombe provisoire et se laisse attirer par les racines vives qui grouillent sous les pierres, il s'aplatit sous le poids de cette énorme tristesse dont peu de gens ont le privilège non pas de connaître, mais simplement de deviner les formes, le poids et les ténèbres. Alors, j'évite les miroirs. »
[139] Ibid., p.65, « Il m'arrivait de l'observer longtemps dans son sommeil, la regardant fixement jusqu'à perdre les traits et le contour de son visage et pénétrer dans ses pensées profondes, enfouies dans un puits de ténèbres. Je délirais en silence, réussissant à rejoindre ses pensées et même à les reconnaître comme si elles avaient été émises par moi. C'était là mon miroir, ma hantise et ma faiblesse. »
[140] Ibid., p.63, « Elle s'ennuyait beaucoup et, puisque personne dans sa famille ne lui manifestait de la tendresse, elle sombrait dans une espèce de mélancolie pitoyable où elle cernait son être. »
[141] Ibid., p.68, « Elle me dit un soir, les yeux déjà rivés sur la trappe des ténèbres, le visage serein mais très pâle, le corps menu ramassé sur lui-même dans un coin du lit, les mains froides et plus douces que d'habitude, elle me dit avec un petit sourire : « J'ai toujours su qui tu es, c'est pour cela, ma sœur, ma cousine, que je suis venue mourir ici, près de toi. (…) »
[142] Loc. Cit.
[143] Ibid., p.99, « Doucement mes doigts effleuraient ma peau. J'étais tout en sueur, je tremblais et je ne sais pas encore si j‘avais du plaisir ou du dégoût. Je me lavai puis me mis en face du miroir et regardai ce corps. Une buée se forma sur la glace et je me vis à peine. J'aimais cette image trouble et floue ; elle correspondait à l'état où baignait mon âme. Je me rasai les Poils sous les aisselles, me parfumai et me remis au lit comme si je recherchais une sensation oubliée ou une émotion libératrice. Me délivrer. »
[144] Ibid., p.131, « Il m'arrive encore d'imaginer quelle vie j'aurais eue si je n'avais été qu'une tille parmi d'autres, une fille de plus, la huitième, une autre source d'angoisse et de malheur. Je crois que je n'aurais pas pu vivre et accepter ce que mes sœurs comme les autres filles dans ce pays subissent. Je ne crois pas que je sois meilleure mais je sens en moi une telle volonté, une telle force rebelle, que j'aurais probablement tout chamboulé. Ah ! ce que je m'en veux à présent de ne pas avoir plus tôt dévoilé mon identité et brisé les miroirs qui me tenaient éloignée de la vie. »
[145] Ibid., p.94, « -Avant d'arriver dans cette ville, j'ai eu la chance en le privilège de me baigner dans une source aux vertus exceptionnelles. L'une de ces vertus est vitale pour moi : l'oubli. L'eau de cette source m'a lavé le corps et l'âme. Elle les a nettoyés et surtout elle a remis de l'ordre dans mes souvenirs, c'est-à-dire qu'elle n'a gardé que très peu de chose de mon passé ; seuls trois ou quatre souvenirs ont été maintenus. Les autres ont disparu et à leur place je vois des ruines et du brouillard. Tout est enveloppé dans une couverture de laine usée. Pour avoir accès à cette source, il faut se dépouiller de tout et renoncer définitivement à la nostalgie. J'ai détruit mes papiers d'identité, et j'ai suivi l'étoile qui trace le chemin de mon destin. Cette étoile me suit partout. Je peux te la montrer si tu veux. Le jour où elle s'éteindra sera le jour de ma mort. J'ai tout oublié : l'enfance, les parents, le nom de famille. Et quand je me regarde dans une glace, j'avoue être heureuse, parce que même ce visage est neuf pour moi. Je devais avoir un autre visage. »
[146] Ibid., p.41, « un lac et une source d’eau ».
[147] Ibid., pp.41-42, « Je criai de toutes mes forces et sans m'en rendre compte, je hurlai : « Je suis vivante... vivante !... Mon âme est revenue. Elle crie à l'intérieur de ma cage thoracique. Je suis vivante... vivante ! ... »
[148] 大塚和夫ほか編、『岩波イスラーム辞典』、岩波書店、2002年、p.328(グスル)。
[149] Tahar Ben Jelloun, La nuit sacrée, Seuil, « Points », p.167, « J'avais une terrible envie de voir la mer, d'en sentir le parfum, d'en voir la couleur, d'en toucher l'écume. Je pris un autocar qui partait vers le Sud. »
[150] Ibid., p.167, « Tôt le matin je vis d'abord une brume légère monter de la terre. »
[151] Ibid., p.168, « Je me regardai dans une petite glace. Mon visage reprenait lentement vie. Il s'illuminait de l'intérieur. J'étais heureuse et légère. »
[152] Ibid., p.7, « Je me sens un peu lourde. »
[153] Ibid., p.168, « J'étais heureuse et légère. »
[154] Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Points », p.27, « votre serviteur ».
[155] Ibid., p.27, « Dieu le protège et lui donne longue vie ».
[156] Ibid., pp.16-17, « Vous n'êtes pas sans savoir, mes amis et complices, que notre religion est impitoyable pour l'homme sans héritier ; elle le dépossède ou presque en faveur des frères. Quant aux filles, elles reçoivent seulement le tiers de l'héritage. Donc les frères attendaient la mort de l'aîné pour se partager une grande partie de sa fortune. Une haine sourde les séparait. »
[157] Ibid., p.16, « Que de fois il se remémora l'histoire des Arabes d'avant l'Islam qui enterraient leurs filles vivantes ! »
[158] 大川玲子、『クルアーン 神の言葉を誰が聞くのか』、慶應義塾大学出版会、2018年、p.137。
[159] Tahar Ben Jelloun, L’enfant de sable, Seuil, « Points », p.131, « J'ai bénéficié des lois de l'héritage qui privilégient l'homme par rapport à la femme. J'ai hérité deux fois plus que mes sœurs. Mais cet argent ne m'intéresse plus. Je le leur abandonne. Je voudrais quitter cette maison sans que la moindre trace du passé ne me suive. Je voudrais sortir pour naître de nouveau, naître à vingt-cinq ans, sans parents, sans famille, mais avec un prénom de femme, avec un corps de femme débarrassé à jamais de tous ces mensonges. Je ne vivrai peut-être pas longtemps. Je sais que mon destin est voué à être brutalement interrompu parce que j'ai, un peu malgré moi, joué à tromper Dieu et ses prophètes. Pas mon père dont je n'étais en fait que l'instrument, l'occasion d'une vengeance, le défi à la malédiction. J'avais conscience de jouer un peu. Il m'arrive encore d'imaginer quelle vie j'aurais eue si je n'avais été qu'une tille parmi d'autres, une fille de plus, la huitième, une autre source d'angoisse et de malheur. Je crois que je n'aurais pas pu vivre et accepter ce que mes sœurs comme les autres filles dans ce pays subissent. Je ne crois pas que je sois meilleure mais je sens en moi une telle volonté, une telle force rebelle, que j'aurais probablement tout chamboulé. Ah ! ce que je m'en veux à présent de ne pas avoir plus tôt dévoilé mon identité et brisé les miroirs qui me tenaient éloignée de la vie. »
[160] タハール・ベン=ジェルーン、『気狂いモハ、賢人モハ』、前掲書、「訳者解説」、p.181。
[161] タハール・ベン=ジェルーン、『子どもたちと話す:イスラームってなに?』、「いまムスリムであることの困難とは」、現代企画室、藤田真利子訳、2002年、p.140。
[162] 山口俊夫編、『フランス法辞典』、東京大学出版会、2002年、p.264 (héritier, ière)。
[163] 大塚和夫ほか編、『イスラーム辞典』、岩波書店、2002年、p.582 (相続)。