未完の研究が示す、啓蒙の世紀から残る未解決の問い


Istvan Hont, Politics in Commercial Society: Jean-Jacques Rousseau and Adam Smith
Edited by Béla Kapossy and Michael Sonenscher
Harvard University Press, 2015, 160 pp.
イシュトファン・ホント『商業社会の政治学:ジャン=ジャック・ルソーとアダム・スミス』

安藤裕介(日本学術振興会特別研究員PD・東京大学)

本書の著者イシュトファン・ホント(1947‐2013年)は、言わずと知れたヨーロッパ政治思想史研究の重鎮であり、ジョン・ポーコックやクエンティン・スキナーらに続いて「ケンブリッジ学派」の一時代を担った人物である(彼らを「学派」として一括りにできるかどうかは異論があるようだが)。闘病生活を経て2013年に他界した彼は、公刊した著作こそ少なかったものの(膨大な数の遺稿が残っている)、その代表作『富と徳』(1983年)や『貿易の嫉妬』(2005年)は文字通りの大作として世界の研究水準に今も影響を及ぼし続けている。本書は、そのホントの遺稿の一部(2009年にオックスフォード大学でおこなわれたカーライル・レクチャーの講演原稿)が同僚のゾーネンシャーと弟子のカポッシーの手で編集・出版されたものである。

本書は、商業社会の評価をめぐってしばしば対極に位置づけられるルソーとスミスが、実際には何を共有して何を共有しなかったか、また共有しなかった部分があったとすれば、両者の思考の経路にはいかなる分岐点が存在したかを丁寧に掘り起こす試みである。ホントによれば、18世紀ヨーロッパの啓蒙思想家たちが取り組んだ「商業社会」の展望とその内なる葛藤は、根本において現代のグローバル市場経済の世界でも未解決の問いとして残り続けているという。一方でグローバルな通商の互恵性や世界全体の繁栄が語られながら、他方で国家同士の競争意識や虚栄心が燃え上がるという奇妙な現象を私たちは知っている。こうした両義的な現象の背後で強く作用しているものは何か。たとえ応答の仕方が違っていたとしても、「商業社会」が宿す同じ問題にルソーとスミスは気づいていたのではないのか。これが本書全体を通して中心的に扱われる主題である。

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各章で扱われるテーマは、社会性の道徳哲学(第1章と第2章)、法と統治の歴史叙述(第3章と第4章)、均衡ある発展の政治経済学(第5章と第6章)の3つに大別できる。

はじめの二章は、ルソーとスミスの共通認識を同定する上で残りの各章への導入の役割を果たしている。比較を通じて形成される自己‐他者の認識やその間での感情作用の問題、そして終わりのない承認をめぐる闘争…。フランス語でamour-propreと呼ばれる、この概念がホッブズに思想的淵源をもち、ルソーもスミスもその知的遺産の上に立って議論していたことが示される。さらに、こうした個人間の情念は、国家がその力と富を増大させようと相互に競争する状況(ナショナリズム)にも当てはまるという。国家には国家のamour-propreが存在するという点こそ、ルソーもスミスも大いに危惧した問題であった。

第3・4章は、法と統治の歴史叙述をめぐって展開される。ルソーとスミスは統治の起源を探究するなかで、法(正義)と裁定者(統治権力)のいずれが先に社会に受容されたのかという問いに直面する。それは「規範的に先行すべきもの」と「歴史的に先行したもの」の解き難い緊張関係であった。また、商業の勃興による統治の変遷にも注意が向けられる。これは所有権の成立や不平等の問題に両者が強い関心をもっていたことの証左である。しかし、商業の勃興にともなう不平等の拡大や専制への隷従の危険性を見たルソーと、同じ現象を目の前にして封建制の解体と近代的自由の成立を見たスミスは、重要な思想的分岐点に立つことになった。

第5・6章は、農業(地方)と工業(都市)の発展のバランスをめぐる政治経済学上の議論が中心である。ルソーもスミスもamour-propreの適切な方向づけを模索していたのであり、それはまさに重商主義政策と植民地争奪戦に明け暮れた当時の時代状況を反映した問題意識であった。両者は、人々のamour-propreが奢侈や貨幣へと傾斜することで、農業と地方を犠牲にした工業と都市の異常な発展が引き起こされたと見ていたのである。この点で両者の関心は、不均衡発展に陥った農・工(地方と都市)のバランスをどうやって回復するか、さらには重商主義政策による国家間の熾烈な角逐をどうやって軌道修正するかにあった。

本書の問題点はいくつか目につくが、たとえば「商業社会」の定義が行論のなかで一定していないことが挙げられる。ホントによれば「商業社会」においては、①分業や市場交換のような「効用(utility)」が人間関係の基礎となると同時に、②他者との比較や他者からの承認を求めるamour-propreが支配的になるという。しかし、ルソーとスミス、あるいは両者に影響を与えた思想家たちを論じるなかで、①と②の組み合わせ方や力点の比重がかなり異なっている箇所が散見される。ある個所では①よりも②の要素ばかりが強調され、別の個所ではその逆の展開も見られる。

また、ルソーとスミスに共通する商業社会の認識が本書の主題なのだとすれば、ホッブズから一足飛びにルソーやスミスに至るのではなく、ジャンセニストの思想的影響に関してもっと紙面を割くべきではなかったのだろうか。たしかにピエール・ニコルの名前は一度だけ挙げられているが、マンデヴィル、ハチスン、ヒュームほど詳しい言説分析がなされていない。効用(utility)とamour-propreの結合として商業社会を論じるのなら、ルソーにもスミスにも大きな影響を与えたジャンセニストの言説分析は不可欠だと思われる。

ホントは著作を公刊するにあたって慎重に慎重をかさねる思想史研究者であり、その点で本書は練り上げ途上にあった未完の研究だと思われる。実際、単純にその分量だけを比較してみても、彼の代表作『貿易の嫉妬』の序文が156頁にも及んでいるのに対して、本書は6つの講義(全6章)を合わせてもわずか132頁しかない。本書が『貿易の嫉妬』と内容面で極めて重要な連続線上にあることは明らかであるが、その後の健康状態が彼に十分な文献渉猟や分析の展開を許さなかったであろうことが推察される。

いずれにせよ、ホントという人物がその生涯をかけて政治思想史研究の新しい地平を切り開こうと絶えず研鑽・努力し、死の間際まで決してそれを諦めなかったことは確かであろう。本書で探究が試みられたルソーとスミスの比較問題だけでなく、そもそも「思想史研究が現代を生きるわれわれに何をもたらすのか」という彼の根本的な問いを含めて、私たちに残された課題は多い。

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2016/04/17

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