たいせつなことはすべてあなたが教えてくれた、プリンス! (Phase One)


プリンス、HITnRUN、2015年.
Prince, HITnRUN Phase One, NPG, 2015.
Prince, HITnRUN Phase Two, NPG, 2015(2016).

桑瀬章二郎(立教大学)
2 N.O. and N.K.

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死がひとつの作品世界の風景を一変させることがあるというごく当たりまえの事実を、この歳になってはじめて知ったのだから、私はまるで芸術や思想について語る資格を欠いているにちがいない。それに類することがらは、いくつもの書物の中に記されていたはずなのに、埋草のごとき無意味な言葉として一顧だにしなかった。

問題となるのは、貧相な「自分」の主たる糧だと信じて疑わなかった作品世界なのだから、そのぶん余計に私は愚鈍ということになろう。

プリンス、たいせつなことはすべてあなたが教えてくれた。

…そう書くことができればよかったのだが…。

音楽やダンスはいうまでもなく、「哲学」や「詩」、「愛するということ」や「生きるということ」、要するに当時ほぼ「無文字社会」に生きていた「幼児」が何かしら本質的と勝手に考えていたものすべてをあなたから学ぼうとした。これは紛れもない事実だ。けれども、教えることと学ぶことはまるでちがう。私が学んだ(つもりになっていた)のは、ちっぽけな自分の身の丈に合わせて矮小化し、歪曲したプリンス、結局のところ我有化したプリンスでしかなかった。

この矮小化が意図的な操作であることに、ずいぶんまえから気づいていたのだから、私はいっそう罪深いということになる。その証拠に、 Sign o' the Times (1987)以降のアルバムはすべてリリースとほぼ同時に聴いていたというのに、そしてそれ以前のアルバムもさかのぼってすべて聴いていたというのに、友人の度重なる誘いも断り、数ある好機をみすみす逃し、プリンスのライブには一度も足を運ぼうとしなかったではないか。ブーレーズやクレーメル、ピナ・バウシュ、フォーサイスの指揮するフランクフルト・バレエ団といった「神々」のパフォーマンスには何のためらいもなしに出かけていくことができたのに、である。それに、プリンスについて書かれた無数の書物をいっさい開こうともしなかったではないか。2016年4月21日に彼の死が報じられたとき、私はプリンスが57歳だったことすら知らなかった…。

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「もう二十年も昔の事を、どういう風に思い出したらよいかわからないのであるが、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。僕がその時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのだろう。」

1980年代以降の日本の批評が、「痛切な経験」や「感動」を記述しようとする小林秀雄が決まって陥る失語症を批判するために、あるいは小林の物語る虚構の陳腐さと文章の卑俗さを嘲笑するために一種の象徴としてみせた『モオツァルト』のこの一節を笑う資格は、私にはまったくない。私は自分の「経験」を表現する手段と能力を何ひとつ有していないし、そもそもその「経験」とは小林のそれ以上に卑俗なものなのだから。

惨めなまでに小さなテレビ画面にうつるParade (1986)の"Kiss" のPVを見たとき、私は「脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた」。プリンスは、それまで聴いたこともない旋律をファルセットで歌いながら、というよりは刻みながら、余計な装飾すべてを削ぎ落とすことによって(あるいは、ほとんどえぐり取ることによって)、「リズム」の可能性を極限まで追求し、とても恵まれたとはいえぬ美しく撓る身体で、見たこともない身体の「動き」を、だがこれ以外にはこのありえないと思わせる「動き」を楽曲に完全に融合させていた。それを性(生)の表現を過剰というのはたやすいのだろうが、女性ギタリスト Wendy Melvoinの微かにシニカルな笑みと、プリンス自身が浮かべるユーモラスな表情が、(ブランショ、バタイユの言に反し、サド侯爵の最良のページがそうであるように)過剰へのアイロニカルな視線となって、性(生)の深淵を垣間見せてくれているように、少なくとも当時の私には思えたものだ。

Parade によってその虜となる以前の私は、Purple Rain (1984)の数々のヒット曲を耳にしてはいたものの、プリンスにまるで注目することがなかったわけだから、自分の目が節穴だったことはまちがいない。

およそポップ・ミュージックとは思えぬタイトル曲から、(いわゆる「改宗」以降の楽曲以上に)「現代の宗教曲」とでも呼びたい誘惑に駆られる"Condition of the Heart"へ、さらには"Tamborine" のような破格の実験曲へと移動し、B面には"Pop Life"のような異空間の音楽を置いてみせる、ひとつの作品としての圧倒的構成力を備えたAround the World in a Day (1985)を聴いたときの衝撃をいったいどう表現すればよいのだろうか。

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あらゆるジャンルや領域を軽やかに横断することでジャンル概念そのものを破壊しつつ、さまざまなテンポと「調子」と詩を自在に混在させることでカオスからコスモスにいたる過程を辿らせるかのような、つまり、これまた見事な統一性に貫かれたSign o' the Times (1987)を差し出された青二才がどれほど狼狽えたことか。ちなみに、しばしば若き日のマイケル・ジャクソンに与えられた「天使の歌声」という賛辞が正当であるならば、このアルバム最後に置かれた"Adore"を歌うプリンスもまた「天使の歌声」と形容するほかないではないか(「Heavenly Angels Cryin’ Up Above」で予告されるかのような「降臨」)。天使であるか、「使い」であるか、「選ばれし者」であるか、いや、横柄な君主であるか、それとも単なる暴君であるか。いずれにせよ私は別世界の住人たるミネアポリス出身のアーティストの信者となったのだった(のちに彼は"My Name Is Prince"(1992)で「In the beginning God made the sea / But on the 7th day He made me」と歌うことになるだろう)。

信者といっても、私はとりわけ二つの意味でもっとも不実な信徒であった。まず私はプリンスをグールドのようなスタジオ録音の可能性の追求者にしたてあげ、誰もが「奇跡的」と賞賛するそのライブに行こうとしなかった。正直にいうなら、これ以上の衝撃を受けて「自分」の存立の基盤が揺るがされるのが恐ろしく、行く勇気がなかったのだ。だから私は多様な表現形式に挑んだプリンス作品のごく一部しか知らないことになる(悪名高い映画作品も今観なおせば異なる印象を抱くのかもしれない)。さらに悪質なのは、プリンスが自由と解放、そして何よりも寛容を説く思想家でもあったにもかかわらず、プリンスを口実に、少なくとも心の中で、哲学や文学への侮蔑、いや、正確には、プリンスと同時代を生きる「自称哲学者や文学者」に対する侮蔑を正当化しようとした点である(打ち明けていえば、この「自称知識人」に対する憎悪にも似た感情はいまだ完全には消滅していない)。

だが、この不実な信者をも、プリンスは「世界一周」の旅へと連れていってくれた。Sign o' the Times がさまざまな試行錯誤を経て、プリンスが到達したひとつの頂であるという評価は、少なくともある時期まで一般的であったし、あながちまちがいともいえない。それでも彼はいったいどれほど多様な風景を見せてくれたことだろう。前作とはまったく異なる、開けっ広げでどこまでも快活なエロスの哄笑Lovesexy (1988)。茶目っ気たっぷりの、息抜きのような真摯な悪戯、映画『バットマン』のサントラ(1989)("The Future" のギターが聴けるだけでじゅうぶんではないか)。同じく映画サントラで、 The Time, George Clinton, Tevin Cambellといった無数のアーティストを登場させるGraffiti Bridge (1990)(いったい彼にどれほどのアーティストを教えられたことだろう)。これまた過剰なまでにとっつきやすい万人に開かれたかのようなDiamonds and Pearls (1991)…。

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新たなSign o' the Times を期待していた私は、これらの作品に、少しばかり失望されられたのかもしれないが(記憶が定かではない)、それでも私は相変わらずプリンスの自称「信者」であり続けたはずだ。それはLove Symbol Album (1992) に再び強い衝撃を受けたからだったと思う。とろけるようなバラード"Damn U"から(超)現代版old schoolファンク"Sexy MF"まで、実に多様な18もの名曲を惜しげもなく並べるこのアルバムはいつも通り多様な解釈が可能だが、当時圧倒的に支配的であったヒップホップへのプリンスのひとつの回答ともとれる。サンプリングやラップの多用だけを取り出せば、時代の流行への歩み寄りとの批判も可能なのだろうが、"My Name Is Prince"を聴けばプリンスがそのような迎合的態度と無縁であったことがすぐさま理解されるはずだ。極端なまでに単調な(あえてヘタウマ声で歌われる)旋律に、「ピストル」や「拳銃」でなしに「音楽」で君臨・支配してみせるとの歌詞をのせ、 Tony Mのラップにほとんど打楽器のような高度な音楽性を与える(U must become a prince before u’re a king anyway / It’s time I get igna-igna-igna-ignrantを聴いてほしい)プリンスがいったいどうして迎合的であろう。ここでもまちがいなく、プリンスの過剰は、アイロニカルであると同時に少しばかりユーモラスでさえあって、聴く者にシニカルな視座を提供している。

(続く)


2016/05/30

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