第4回ルソー研究会
日時:2015年4月25日(土)15:00~
場所:立教大学ロイドホール5階第1会議室
齋藤山人
桑瀬章二郎
桑瀬章二郎
『エミール』を読む(4)
La conscience a désormais, en tant que conscience de soi, un objet redoublé, l’un, l’immédiat, l’objet de la certitude sensible et du percevoir, mais qui pour elle est désigné par le caractère du négatif, et le second, savoir, soi-même, qui est l’essence vraie, et qui n’est d’abord présent que dans l’opposition du premier. La conscience de soi s’y expose comme le mouvement dans lequel cette opposition est abolie et où a lieu l’avènement pour elle de son identité avec soi-même (Hegel, Phénoménologie de l’esprit, tr. par J.-P. Lefebvre, GF, p. 189).
『エミール』の第二篇と共に「言語」と「記憶」の時代が幕を開け、人間の「意識conscience」とその「同一性identité」が問題となり始めます(Locke, Condillac)。想像力によってしばしば「外」へと逃れ出る人間「存在」を、いかに「現在」のうちに統べ−治めることができるのか?枢要な(こう言ってよければ「大文字の」)哲学的テーマが複雑に折り重なる第二編冒頭は、読者を眩惑するダイナミズムを帯びているようです。能力と欲望の相対性、権威と自律、自然−物と人−為、主人と奴隷の弁証法、さらに専制政治の問題に伴われて執拗に回帰する「怒り」のテーマ…。ここには、主人と奴隷の反転可能な「二重性」が、「君主」と「子供」の「同一性」を介して、先鋭的な形で表象されているのではないでしょうか。自らに「依存」している「子供」の不興dégoût, déplaisir, ennuiを案じて、「教師maître」が絶えず「労働」させられる『エミール』の転倒的な構造は、(アナクロニックな言い方をすれば)あたかも『精神現象学』のパロディを描き出しているかのようです。(齋藤山人)
第一部 研究報告 安田百合絵(東京大学修士課程):「まなざしの交差配列(キアスム)― 『エミール』と『エセー』」
第二部 読解
テクスト
Rousseau, Émile ou l’éducation, (GF Flammarion, 2009) - 第4回目103-135頁。
ルソー『エミール』(上、中、下)岩波文庫(新版)
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