第7回ルソー研究会



日時:10月24日(土)15:00~
場所:立教大学ロイドホール5階第1会議室


                  
         桑瀬章二郎
齋藤山人


『エミール』を読む(7)



Lorsque nous disons que le phallus a valeur symbolique c’est qu’il marque le corps humain par sa présence ou son absence. Et l’essentiel du phallus, déjà dans l’Antiquité, c’est de pouvoir être détaché. Par ce fait d’être représenté comme détaché, nous passons d’une « présence-absence » purement logique, d’une opposition logique « phallique-non phallique » à une opposition, cette fois dans la vie pulsionnelle, « phallique-castré ».     Jean Laplanche


 
「黙りなさい、ジャン=ジャック」Tai-toi Jean-Jaques (Tais-toi Jean-Jacques)….

この箇所でルソー―常に「例外性」から出発し、「例外性」から決して目を背けることのなかった「例外性」の理論家ルソーは再び、子供からありとあらゆる「例外性」を除去=切断し、文字通り「例外性」(exceptions)なき「例外的」な子供の形象を磨き上げます。そして子供のための(現行の)学課(études)なるものをすべて否定していくのです。歴史、幾何学…そして、何よりも「言語」。この「もうひとつの言語起源論」とでも呼べるかもしれぬ言語をめぐる考察は、「文学」、ひいては「寓話」(fable)のテクスト解釈(反解釈?)へと至り、次第に新たな主題を浮上させていくことになります―「意志」。記号(usage des) signes, 記憶mémoire, 意志volonté….すべては説明されたかのようです(シャラクの注を参照)。ところが、ルソーの「脱線」はとまりません。仮に、古くから注目を集めてきた「小さな暴君(専制君主)」の挿話が、『エミール』の語り手がそう読むことを求めているように、デュパン夫人の息子の教育(体験)を暗示しているのであれば、この箇所、すなわち『エミール』という「寓話」それ自体、『告白』第七巻という恐るべき「寓話」―リヨンからパリへ、つまり、コンディヤックからマブリ、フォントネルからボルド、ダヴィッドからベルナール、グレッセからボーズ、カステルからレオミュール、ラモーからマリヴォー、(セール嬢からブロイ夫人?)ディドロからデュクロへ―要するに、化学から音楽、詩学、数学、歴史学、演劇、神学へと、一八世紀の「知」のあらゆる領域を横断していく主人公の「寓話」とどのような関係を取り持つのでしょうか。(桑瀬章二郎)

第一部 研究報告  白川理恵(目白大学非常勤講師)「ルソーの小説『新エロイーズ』におけるオペラ理論の影響」
第二部 読解

テクスト
 Rousseau, Émile ou l’éducation, (GF Flammarion, 2009)-第7回目170頁まで。
ルソー『エミール』(上、中、下)岩波文庫(新版)


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