第11回ルソー研究会

日時:2016年11月5日(土)15:00~
場所:立教大学ロイドホール5階人文研究センター


『エミール』を読む(11)


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 諸感覚を相互・補完的に発展させる過程で、エミールはそれと知らずに(そして不可避的に)「学問・技芸」の領域へと足を踏み込んでいきます。デッサン、幾何学、スポーツ、発話(発音)、文字(記号)、音楽… 全ては「遊戯」として、「喜び」の名の下に訓練されることを条件として。とはいえ、感覚的理性(子供の理性)は徐々に限界へと達し、より複雑な観念を形成する段階(大人の理性の時代)が近づいています。この意味で、第二篇の最後にエミールが到達するのはきわめて逆説的なモメント−−子どもという「不完全(未熟)な」存在が「完成(成熟)する」状態−−に他なりません。しかしこの瞬間、喜びに満ちて溌剌とした子どもの姿(自然に基づいた教育の成功)を、教師は一つの「スペクタクル」として認識し、貪るように堪能し始めます。この一見素朴な「絵」−−子どもを子どもとして生きる幸福−−は、エミールを同年代のあらゆる子どもたちの上に君臨させる政治的な言説(「支配者」としてのエミール)と接木され、ルソーがこれまで入念に排してきた「危険」(人間の差異・情念の起源)と“立体的な”関係を結ぶようです。(齋藤山人)

テクスト
Rousseau, Émile ou l’éducation, (GF Flammarion, 2009) - 204頁~234頁。
ルソー『エミール』(上、中、下)岩波文庫(新版)

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齋藤山人(日本学術振興会特別研究員PD:立教大学)yamatosaito@rikkyo.ac.jp
まで。


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